尼崎城は、江戸時代を通じて尼崎藩(おおかた4~5万石)の中心だったお城です。
当時は今よりも海岸線が内陸に入っており、大物川、庄下川、大阪湾に囲まれて船で直接城内に出入りできる尼崎城は、さながら海に浮かぶようであったということです。
しかし明治に入って廃城となり、敷地は払い下げ、建物は取り壊し、石垣は港湾工事などに転用、堀もどんどんと埋め立てられたうえに、直近を鉄道や国道が通り市街化が進んだことから、今となってはどこが城跡なのか、かなり判りにくくなっています。
私はとくに城跡に詳しいわけではないのですが、明治になるまで使っていた城が、城の中心部まで完全に市街地に飲み込まれてしまった例というのは、そう多くないと思います。
むしろ、日本の都市公園100選&歴史公園100選を見てもわかるように、城跡は都市の中心的な公園になっていることが多いのです。
とは言え、尼崎城が影も形もなくなったかというとそうでもなく、阪神・尼崎駅から歩いてすぐのところに、尼崎城址公園が整備され、復元的に整備された石垣などを見ることができます。
もっとも、石垣の向こう側、もともと西三の丸と呼ばれていた場所には市立中央図書館が建っており、公園としてオープンスペースになっているのは非常に小さなものです。
おまけに当時の城の姿からすると、石垣を望む公園部分(写真を撮影した位置)は外濠にあたるようで、それでもって城址公園だと名乗るのは微妙なところです。
確かに、引いてみると、堀の中から城を見上げている気になってきます。
総じて、城址公園としてはハテナの多い尼崎城址公園でした。
●尼崎市 Web版『図説 尼崎の歴史』より「城と城下町」
(2013年1月訪問)
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