江戸時代には、富士山を崇拝する富士信仰が盛んでした。とは言え、実際に富士山にお参りできる人は限られていましたので、富士山をまつる浅間神社が勧請され、江戸のあちこちに社が建てられました。
台東区浅草5丁目にある浅草富士浅間神社も、その一つです。
関東大震災の後、その浅草富士浅間神社の向かいに富士小学校と富士公園が整備されました。
こちらが富士小学校。玄関の上には富士山のタイル絵、正面玄関の横には富士山のモニュメントがあります。
そして生徒たちの愛称は富士っこ。関西でフジッコと言えばお豆さんですが、ここでは小学生です。
こちらが富士公園。小学校とは道を一本挟んで隣接しています。
公園の北寄りに大きなケヤキの樹があり、その周りに遊具が集まっています。
後ろにそびえるのは浅草警察署。建物内に武道場があるのでしょうか、訪れた時には大きな気合いの声が聞こえていました。もっとも、放課後になれば子供たちの遊び声も負けじと響き渡ることでしょう。
砂場の横にはコンクリート製の立派なラジオ体操台がありました。
正面に描かれているのは、もちろん富士山。
そしてトイレも富士山。
本物に比べると尖りすぎてネイティブアメリカンのテント(ティピー)みたいにも見えますが、太宰治も「たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢である」と述べていますので、これぐらいが絵になる富士山のイメージなのかも知れません。
せっかくなので、次に改修する機会があれば、No.333の与儀げんき公園なども参考にして、トイレの屋根まで登れるようにすることを提案します。現代の富士塚として、人気を集めることでしょう。
(2013年1月訪問)
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