江戸時代、三ノ輪あたりから流れ出て隅田川へと注ぐ川が堀割として整備され「山谷堀」と呼ばれました。吉原遊郭のそばを通るため、吉原に遊びに行く旦那衆は船で隅田川から山谷堀を通って行くのが定番だったと言います。
この山谷堀が1970年代に埋めたてられて暗渠となり、その上部が山谷堀公園となりました。もとが川ですので、ずーっと細長く続いています。
とは言え、当然ながら昔の橋の跡(道路)で細かく分断されています。
分断されたブロックごとに、広場、遊具広場、下流の方に行けば庭園風など、ちょっとずつ性格が異なっているようです。
山谷堀に掛かっていた橋は、今も親柱や高欄がそのまま残されているものが多く、地方橋(ぢかたばし)もその一つ。ここには来歴の書かれたプレートがありました。
関東大震災からの復興事業として改築されたとありますが、震災からは6年も経ってから工事に取り掛かっています。この辺りは震災でけっこう燃えたはずなので以前の橋も焼け落ちたのではないかと思われますが、6年の間は仮橋でも架けていたのでしょうか。
●地方橋来歴
本橋は帝都復興事業として改築したるものなり。
起工 昭和4年4月
竣工 昭和4年8月
工費 2万400円
東京市
彼方に見えるは東京スカイツリー。
公園沿いに歩いて行き、隅田川に架かる橋を渡ればスグです。
ちなみに、開設から40年近くが経ち、施設老朽化や管理上の問題も出ていることから、2012年現在、台東区では山谷堀公園の再整備を検討しているようです。
(2013年1月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿