樋口一葉の『たけくらべ』の舞台になったという台東区竜泉に、朝日山弁天院という小さなお堂があります。
現在のお堂がいつ頃のものかは知りませんが、屋根の上には宝珠が乗ってお寺風なのですが、鰐口ではなく鈴が吊され、また狛犬が脇を固めていて神社風でもあります。このあたり、神仏習合や民間信仰も入り混じった弁天様らしいお祀りの仕方なのかとも思います。
お堂の前には小さな池があり、そこが弁天池と呼ばれています。
現地の解説板によると、関東大震災のガレキ処分のために埋めたてられた池の名残だということです。関東大震災では、ガレキ処理のために江戸時代からの堀割や池が多く埋めたてられました。
●現地の解説板より 「弁天池の記」
昔の弁天池は約8,000平方米の広さを持ち、常に蒼々とした底深い水を湛え、琵琶形に造られた約160平方米の中の島との間に長い木橋が架けられて風情を添え、島には松柏の大樹がうっ蒼と茂る中に由緒深い本堂を仰ぎ見る景観は誠に荘厳を極めていた。
然るに大正12年関東大震災の直後、当局はこの池を焼土の処分場に着目し、地元を始め隣接数区の焼土により埋めたてられ細やかながらその名残を留めているのが現在の池である。
文豪久保田万太郎はこの池の変貌を惜しみ「水の谷の池埋めたてられつ空に凧」と詠んでいる。誠に今昔の感に堪えない所である。
朝日山弁天院
本ブログでよく参照している日文研の所蔵地図データベースで1910年(明治43年)の『携帯番地入東京區分地圖-下谷区之部(便覧社)』を見ると、確かに大小3つの池が描かれています(地図右下の方)。
これについて、神奈川大学21世紀COEプログラムが公開している『関東大震災 地図と写真のデータベース』を見ると、確かに大きな池と島が描かれていますが、火災の大きかった区域に含まれていますので、おそらく弁天院の建物も森も焼け落ちたものと思われます。
また、近くに同じくらいの大きさの池を持つ寺院が2つほどあったようですが、そちらの池は今は残っていませんので、おそらく同時に埋めたてられたのではないかと思います。さて、ここまではずっと弁天院と池のお話で、ここからが弁天院公園。弁天院の前にある遊び場型の小公園です。
弁天院の建物敷地や池と公園との間に柵などの明確な境界はなく、一体的に公園という感じです。
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