武庫川下流の東岸、尼崎市の大庄西町に「雉ヶ坂」という伝承地があります。
その昔、本能寺の変を知った羽柴秀吉が明智光秀を討つべく、いわゆる「中国大返し」で摂津・山城方面へと軍を進めていたところ、武庫川の西岸まで来たところで地元の農夫から「対岸に明智軍が潜んでいる」との注進を得、見れば夜明け前だというのに藪の中から雉が飛び立つのを見たため、進路を変えて背後から明智軍を攻めることができた、というものです。
後に秀吉は、この地での雉の捕獲を禁じ、土地の者に田と池(礼田池)を与えたと言います。
まぁ戦国時代に今と同じところに武庫川が流れていて、同じように坂があったとはとても思えないのですが、とりあえず下の写真左手奥の細道が「雉ヶ坂」、右手の住宅あたりが池跡ということになっており、その二つに挟まれているのが雉ヶ坂子ども広場です。
平成19年の尼崎市の資料によれば、子ども広場は市内に247箇所(約14.88ヘクタール)。「都市公園を補完する施設として設置されてきましたが、都市公園の整備等に伴い、見直しの方針を策定しております」とのことですが、今のところ雉ヶ坂子ども広場は売却等の対象にはなっていません。
堤防下で目立たない細長い敷地に、ブランコと砂場、コンクリート動物が横一列に並んでおり、走り回れるような広場も無い狭小な公園なのですが、実際に中を歩いてみると遊具やベンチにはそこそこ使われている気配があり、散歩途中のちょっとした休憩場所などとして役立っているのではないかと思いました。
(2013年1月訪問)
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