この配水タンクのまわりは御嶽のある古くからの聖地でしたが、戦後は米軍に接収され、それが返還された後に赤嶺緑地として整備されました。
とぼけた顔に見えるのは「安次嶺(あしみね)のシーサー」と呼ばれる、この地伝来のシーサーです。
区画整理の時に、このシーサーを色々なところのデザインに取り入れたようで、公園の道向かいにある遊歩道の車止めもこうなっています(ガマ親分ではありません)。
ところでシーサーの後ろにいる琉装姿の方々がイヌっぽい顔に見えるのは気のせいでしょうか。もしかすると、これも地域の伝承に因んでいるのかも...
さて、そこから坂道を登っていくと、広場に石造りのものが見えて来ます。近寄ってみると、どうもステージのようです。
ステージのある広場から北側に降りていくと「安次嶺の御嶽」の横に出ます。
古くからの御嶽がきれいに整備されていますが、区画整理などに関連して整えられた御嶽のデザインはどこでも似通っています。内地の神社の社殿のように、様式のようなものがあるのでしょうか。
ちなみに写真中央に見えている切り株は、私が訪問する2ヵ月ほど前に台風で折れたデイゴだそうです。
御嶽の横手にある照明灯を兼ねたコンクリート円柱列は、よく見ると高い位置に金属製のリングがはめ込んであります。おそらく、御嶽での祭事の時にテント屋根を付けられるようになっているのだと思います。
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