区画整理で周囲の地形が改変された中で丘陵が残されているのですが、おそらく環境面を意識したNo.303の小禄金城公園とは異なり、こちらは戦時中に海軍が使っていた地下壕の保存を意識していると思われます。
地下壕は「カテーラムイ(寿山:ことぶきやま)旧海軍壕」と呼ばれており、公園の外周、北西側の市営住宅に面したあたりに入口がありますが、崩落の危険があって現在は中に入ることはできません。
■現地の解説板より「カテーラムイ(寿山)旧海軍壕」
海軍航空隊巌(いわを)部隊の本部陣地壕跡。日本軍は、この地を寿山と称した。
小禄飛行場防衛のため、小禄・豊見城一帯では、海軍少将大田実(おおた・みのる)司令官の指揮下に連合陸戦部隊が編成され、多くの陣地壕が掘られた。
その一つが本壕で、1944年8月から12月にかけて住民も動員して突貫工事で完成した。総延長は約350mで、その中に司令室・兵員室・暗号室などが設けられた。
1945年6月4日、米軍は飛行場のある字鏡水(かがみず)に上陸して、戦闘が始まった。6月7日、米軍はここカテーラムイ一帯に激しい攻撃を加え、数日で制圧した。壕内には最大1,000人余の将兵・住民がいた。南部への撤退、避難民、戦死者数ともに不明であるが、8月段階でも約50 人が壕内に留まっていたという。
ほかに公園内にも封鎖された壕入口があるのですが(中で繋がっているはず)、壕そのものを保存する公園は近くに県立の海軍壕公園があるせいか、こちらの田原公園のコンセプトにとくに影響は与えていません。どちらかと言えば「水と緑」タイプの公園です。
モノレールの小禄駅の方から歩いてくると、立派なカリヨンやコンクリート製のモニュメントが並ぶ入口があり、ピーンと軸の通った水路(カスケード)があります。
水路の奥には竜のデザインの噴水があり、当初はそこから水が流れていたのでしょうが、訪れた時はお決まりのように枯れていました。最近は節電のためにポンプを止めているのか、補修費が足りなくて壊れたままになっているのかがわからないのですが、流れていない人工流れが増えています。
井戸水やソーラー発電ポンプでまかなえる公園、清掃や保守点検など日々の面倒を見られるスタッフが詰めている公園、水遊び場など流れ自体を売り物にしている公園などでなければ、雰囲気づくりだけで採用すると後々かえってみすぼらしくなってしまうと思います。
これが曲線的・自然的な仕立てであれば、まだ「枯山水w?」と思って見ることもできるのですが。
さて、竜の横を通り抜けると、山裾が遊具広場になっています。
遊具は小ぶりな複合遊具と斜面すべり台。さほど古い公園でもないのですが、すべり台横のタイヤの崖が懐かしい感じです。
遊具広場から山を登っていくと、城跡かと見紛うかのような石積みの擁壁があり、その上が広場になっています。
ここでまた気づくのは、擁壁の水抜き穴すべてに赤瓦風のシーサーの飾りが付いており、それがすべて壊れていること。
クローズアップ写真でも壊れた後なのでわかりにくいですが、おそらくは口の部分から水を吐くようにつくられたシーサーの、立体成型された顔部分が壊れやすいようで、きれいに無くなってタテガミだけが残っています。
中学生のイタズラで割られたのか、経年劣化すると排水時に裏側からかかる水圧に耐えられなくなってしまうのかわかりませんが、擁壁のかなり高いところも悉く壊れているので後者なのかと思われます。
人工の流れも同じ話なのですが、公園は長い期間使われることが前提ですので、開園時がピークで年を重ねるごとにみすぼらしくなるのではなく、むしろ味が出てくるよう心がけねばなりません(もちろん傷んで直さないといけないところは直すのですが)。
機能を果たすのには必要のない装飾を採用して、年が経つとそれが壊れてみっともなくなるのでは本末転倒です。
それを良しとする風土もあるかとは思いますが、自分としてはこのシーサーは戒めにしたいと感じました。
話を結んじゃったので、頂上のステージ付き広場のことはもういいや(笑)
(2013年2月訪問)
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