明治になると路面電車が通るようになり、橋からやや東寄りに斜めに出て行くような新しい道が開かれます。現在の山崎製パン本社の前を南北に走る道の原形です。
さらに関東大震災の後に橋が架け直され、同時に南の方にまっすぐ通じる昭和通りが整備されます。
そうすると、明治に開かれた道(下の写真左手)と昭和通り(同右手。首都高の高架がチラッと見える)との分岐に三角地ができます。
それが、現在の「岩本町馬の水飲み広場」です。
現地の解説板には、「この場所は、江戸時代より房総や東北方面からの物資輸送(米、野菜、魚介類、材木等)のために荷車を引く牛馬の水飲み場として、また街道を往来する人々の休息の場として重要な役割を果たしてきました。」と書かれているため、江戸時代から三角地があったような気になってしまいますが、今のような形状になったのは昭和以降ということになります。
ちなみに、関東大震災からの復興事業の中で開かれた「和泉広場」と同一の空間だと思うのですが、具体的な変遷などは勉強不足のためよく知りません。
現在は自動車、歩行者とも往来の多い道路に囲まれた中にスポッと開けた芝生広場で、ツツジなども少々植えられており、中に入ってみると意外に落ち着ける場所になっています。
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