また、古い市街地の真ん中にありながら「緑ヶ丘」などという新興住宅地みたいな名前が付いているのも不思議です。実際、緑の丘があるにはあるのですが。
その緑の丘がこちら。公園の北側ある、一見すると城跡のような巨大な石積みです。
中心に舞台のようなスペースがあることから、どうも元の地形を活かして野外劇場のようなイメージで整備されたものだと思われます。もっとも、周りに住宅が多いため音の問題があると思われ、実際のイベントにどの程度使えるかは不明です。なかなかミナック・シアターのようには行きません。
この石積みの周りに、那覇市の史跡になっている古墓(渡嘉敷三良の墓)がありますが、写真を取り損ねました。
また、石垣の裏側は公園の未整備区域で、森の中に古墓がいくつか残っています。小さな森ですが市街地では貴重なものですので、まとまった形で残していきたいものだと考えます。
中央の広場にはバスケットコートがあります。
市街地なのでそこそこニーズはありそうですが、広場の一部を無理矢理コートにしたような変な配置で、広場、コート、どちらの利用者にも使いにくい気がします。
広場の南側、西側は遊具広場になっており、ターザンロープ、ロープピラミッド、新しめの複合遊具などのほか、木製のアスレチック遊具も色々と置かれています。
もし小さなお子さんを連れての沖縄観光の折、子供が国際通りの賑やかさに疲れてしまった時には、どうぞこちらの公園へ。ホテルJALシティ那覇の角を曲がって1分で着きます。
(2012年10月訪問)
【2018年8月追記】
久しぶりに緑ヶ丘公園の横を通ったので、以前に写真を撮りそびれていた渡嘉敷三良(とかしきサンラー)の墓を見てきました。
■現地の解説板より「渡嘉敷三良(とかしきサンラー)の墓」
市指定史跡 指定1990年(平成2年)12月15日渡嘉敷三良は、16世紀に中国からやってきた瓦づくりの職人でした。永住して妻を迎え国場村に住み、その近くに窯を設けて瓦を焼きました。字国場では、今日でも唐大主(トウウフシュ)として敬われています。その技術は、子孫へと受け継がれ、4世の安次嶺親雲上(アシミネペーチン)は首里城正殿はじめ寺院等の瓦葺きに功績を挙げ、1762年照喜名良始(テルキナリョウシ)の代に、王府に願い出て家譜を賜りました。 この墓は、1604年またはそれ以前につくられたと思われます。琉球石灰岩を掘り抜き、奥に遺骨を入れた甕などを安置する一段のタナ(棚)をけずり出してつくられています。このような構造は、アーチを主とした石積みによる墓室が登場する以前からの技法と考えられます。そのため、昔の技法をよく残すこの墓は、その変遷をたどる貴重な存在といえます
那覇市教育委員会
0 件のコメント:
コメントを投稿