中野南公園の所在地は東灘区本山南町ですが、かつては旧・本山村の字中野でした。字中野と西隣の字小路の境界が要玄寺川で、中野南公園は要玄寺川沿いにあります。
公園は東側にフェンスがのある球技広場を取ってあり、さらに広場の周りにはウォーキングなどに使える距離表示つきの周回園路、地区集会所の周りには健康遊具があって、身近な公園ですが、ややスポーツよりの施設が整っています。
反面、子供向けの遊具は少なめで、西寄りの林の下に小さめの複合遊具、滑り台、揺れる動物などがある程度です。
公園内には、阪神・淡路大震災の慰霊碑、また昭和以前の土地区画整理の記念碑があります。
●阪神・淡路大震災モニュメントについてはこちらも
(2012年8月訪問)
【2025年8月追記】
久しぶりに訪ねたら、遊具が新しくなったり、石碑に解説板が付けられたりと、いくつかのアップデートがされていました。
遊び場の北半分では、小さな木製複合遊具が撤去され、その場所に滑り台が置かれました。
滑り台そのものも、新しいものに更新されています。
遊び場の南半分というか、以前は林しかなかったところに新しい複合遊具が置かれて、むしろこちらのほうが遊び場としてのメイン空間に変わりました。
以前はなかった(と思う)ブランコも、追加されました。
土地区画整理事業の記念碑には、簡単なものですが解説板が付けられました。
大正や昭和前期くらいの記念碑は、いま見ると、意外になにを記念しているのかわからないことも多いので、ありがたいことです。
■現地の解説板より「本山村中野土地区画整理記念碑」
大正11年(1922年)、神戸市の都市計画が作られ、近隣町村もその計画に含められたが、 本山村もその一つであった。具体的な整備を進めるため、本山村では各地区で組合が設立され、ここ中野でも「中野土地区画整理組合」が設立された。この碑は、当時の土地区画整理を記念して建立されたものである。(東灘区役所)
そして、阪神・淡路大震災の慰霊碑にも解説板が。
これは逆に驚いたというか、「30年前の震災の記念碑にも、もう解説板を付けないといけないのか」という気持ちになりました。
語り継ぐことは難しいものなので、早めに手をうった英断に賛意を示したいと思います。
■現地の解説板より「命の碑」
学校等の避難所に入れなかった阪神・淡路大震災の被災者約100人が、中野南公園のグランドにテントを張り、一年に渡り避難生活を送りました。テントで避難生活をしていた被災者の方々が、震災の記憶とテント村が存在した記憶を永遠に留めたいと記念碑の建立を計画しました。震災から一年後の1996年に、震災犠牲者の追悼と命の尊さ、全国のボランティアの皆様への感謝の思いを刻んだ「命の碑」を、全国から寄せられた寄付金で建立できました。現在も被災者の方々の心によりどころとして、地域の皆様に暖かく見守られながら、「命の碑」は、あの日を忘れることなく、静かにメッセージを発信し続けています。
0 件のコメント:
コメントを投稿