西波止児童遊園は、No.98の砲台跡児童遊園のすぐ北にありますが、間には高さ5mほどの堤防と堤防沿いの細い道路を挟むため、互いの存在にまったく気づかない位置関係にある小公園です。
遊具コーナーと小さな広場がフェンスで区切られており、細長い遊具コーナーにはブランコ、滑り台、ラダー遊具などが並びます。
広場をしっかり確保したかったという気持ちはわかりますが、遊具コーナーが細長すぎて、なかなか厳しい状況です。もう少しだけでも幅が欲しかった。
すぐ横には西波止会館という集会所施設もありますので、もともとは西波止会館-西波止児童遊園-砲台跡児童遊園はひとつながりだったものが、堤防と道路ができる際に分断されたのではないかと思われます。
これについて1948年の米軍撮影空撮を見ると、西宮砲台のまわりは円形の土塁のようなもので囲われていることがわかります。後にこの土塁の東・北側をつぶして堤防と道路が造られているようです。
『図説日本の史跡 第7巻』(文化庁文化財保護部史跡研究会監修,1991年)によれば、「砲台を中心に径75メートルの土塁があったことが判明しているが、現在も一部遺存している」とのことです。
そういう前提で現在の空撮を見ると、どうも遊具広場の細長い形状は、土塁の形状を残しているようにも見えてきます。
下の写真で中央の丸いものが砲台の本体、右上の空地が西波止児童遊園です。砲台の左から下に残る土塁跡っぽいものを丸く伸ばしていくと、なんとなく遊具広場のところにぴったり重なるような気がしませんか?
そういう目で公園を見ると、遊具広場とグラウンドの境目に並べられた石も、道路と公園の地盤の高低差も、なんだか意味ありげに思えてきます。本当のところは、きちんと調べてみないとわかりませんが。
(2012年5月訪問)
【2014年4月追記】
西宮市教育委員会による『史跡西宮砲台保存管理計画策定報告書(2012)』を目にする機会があり、遺構の区域などを確認することができました。
やはり、この児童遊園は砲台の外周をなす土塁の線にかかっているようで、最後の写真に掲載した弧状の土地区画、石列も砲台由来のものと考えられる部分があるようです。
北東部児童遊園外郭地区(西波止町3番32外)
防潮堤の北東の地区で、外郭の地上遺構の一部及び地下遺構が残存しているとみられる地区である。児童遊園として利用されており、建物等が設けられていない区画である。土地の区画は外郭の形状を残している部分がある。弧状の石積みは、外郭の一部を残しているとみられる部分と、後に形状に合わせて石材を並べたように見える部分があるが、厳密な区分には、実測調査、発掘調査等による詳細な調査が必要である。
-引用ここまで-
【2023年2月追記】
久しぶりに通りがかったら、いつの間にか公園名が「西波止児童遊園」から「西波止公園」に変わって、以前はなかった園名柱が建てられていました。
Google Street Viewで確認すると、園名柱は2017年にはなく、2018年には存在しています。
とくに中身は変わらないのですが、施設の位置付けだけが変更されたようです。
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