江戸時代終わり頃の絵図によると、商工会議所は西町奉行所、中大江小学校は牢屋(与左衛門町牢屋と呼ばれた)であったようなのですが、中大江公園の区画がなんであったのかはわかりません。
ちなみに公園の東側を南北に通る道路は、京都から熊野へと向かう熊野街道(御祓筋)。淀川を船で下ってきた旅人は、現在の天満橋のたもとにあたる八軒屋浜で船を下り、陸路熊野へと向かったと言います。
さて、現在の中大江公園は、そんな歴史との関わりをほとんど感じさせない公園です(笑)
公園内は大きく4つに分かれており、多目的広場、遊具広場、幼児遊び場、花壇?があります。
クスノキなどの樹木に囲まれた多目的広場は、さほど広くはありません。形も変形で球技などに使う仕立てではありません。多目的広場の片隅には、大正・昭和の作家、宇野浩二の文学碑があります。この町内に住んでいたそうです。
出入口から多目的広場を見る。手前には周回園路 |
宇野浩二の文学碑 |
遊具広場は山遊具を中心に、ブランコ、小さめの複合遊具などがあります。この山遊具、以前は赤かったのですが、いつの間にか黄色に塗り直されていました。
幼児遊び場は、東屋の横に砂場、揺れる動物などがあります。
砂場の後ろには鯉のぼり。管理に携わる地域の人たちの存在を感じさせます。 |
公園の一角を占める「花壇?」には、フェニックスの樹のまわりに幾つかの花壇が配置されており、地域の皆さんが熱心に花づくりに取り組んでおられます。
花づくりだけではなく、夏は盆踊り、冬はイルミネーション、春は茶会などのイベントがよく開かれており、地域の皆さんに大事にされていることがうかがわれます。
花壇広場と呼ぶべきでしょうか |
(2012年5月訪問)
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