駅の南側は震災復興第二種市街地再開発事業として、おもには中心部に大きな防災公園を確保した再開発ビル群の整備がおこなわれました。高層の再開発ビル群という姿には好き嫌いがあるとは思いますが、それとセットだったからこそ駅近に広々とした公園が整備できたのは間違いないと思います。
遊び、イベント、運動等々、利用が非常に多いので、芝生の維持はたいへんだと思います。
春先なのでとくに剥げ気味です |
いつも子供で溢れている遊具広場。周辺の歩道から柵もなくフラットに入ってこられます。
遊具そのものはそれほど多くはありません |
公園の南側には、国際コンペで入選したというイタリア広場。
なんと言えば伝わるでしょう、「大きな坂道」というのが精一杯の表現です。
六甲の山並みに向かって伸びる造形は非常にシンボリックではあるのですが、公園施設としての使い勝手は難しいところです。
利用者を見ていると、上にのぼってみる(展望台代わり)、そのまま坂道を走ってみる(広場代わり)、下に入って日除けにする(東屋代わり)といった使い方のようですが、どれも専用の施設に勝るものではありませんし...
ここはやはり、「広場」とは言うものの芸術家の方が考えた展示物として、彫刻とかと同じ扱いで眺めるべきものなのでしょう。
手前の坂道状のものがイタリア広場 |
●当時の神戸新聞の記事より引用
> http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/020218ke43540.html
防災公園に「イタリア広場」 JR六甲道駅南地区
2002/02/18
神戸市灘区で進められているJR六甲道駅南地区震災復興再開発事業(五・九ヘクタール)で、防災公園の一角に、イタリアの都市のイメージを取り入れた広場がつくられることになった。「日本におけるイタリア年」を記念し、日伊の建築界が協力。基本デザインは、両国の若手建築家から、国際アイデアコンペ方式で公募している。 コンペは、昨年の「イタリア年」を機に、「日本におけるイタリア2001年財団」が日本側に呼びかけ、神戸市の協力で実現した。 駅南地区では、超高層ビルなどに囲まれる形で、芝生や樹木を中心とした〇・九三ヘクタールの公園をつくるプランが、まちづくり協議会などの参加で決まっている。広場予定地は公園の南端で、国道2号、移転予定の灘区役所に面し、南の玄関口にあたる約〇・三ヘクタール。 イタリア側は現代的な都市広場をイメージ、石材などを提供する用意もある。だんじりが集まる空間や、バリアフリーなども条件という。 公募の対象になるのは、一九六五年以降に生まれた日伊の建築家。審査には、建築家の槇文彦氏、安田丑作神戸大教授、オルセー美術館を設計したガエ・アウレンティ氏らが当たる。発表は六月。最優秀作に一万ユーロ(約百二十万円)が贈られるほか、神戸、東京などで開く「イタリア建築展」で作品展示する。 イタリア建築フォーラム日本実行委の理事を務める井口勝文京都造形芸術大教授は「有望な若手建築家を見いだすチャンス。イタリア側は神戸に親近感を持ち、復興に貢献したいと期待している」と話す。募集要項はホームページhttp://www.piazza-italia.org/
(2012年4月訪問)
●神戸市公園緑化協会の公園紹介ページ
●神戸市役所の六甲道駅南地区の復興事業に関するページ
【2014年1月追記】
六甲道まで行く用事があったので、以前に撮り損ねていた阪神・淡路大震災の慰霊モニュメントの写真を追加しました。
●碑文より「鎮魂 阪神淡路大震災犠牲者の方々へ」
平成7年1月17日午前5時46分。突如大地を揺るがす大激震が未だ明けやらぬ阪神・淡路地域一帯に襲いかかり、天地を焼き焦がし多くの尊い命を奪い去り、更に住宅等あらゆる建物に甚大な被害をもたらしました。
この六甲道南地区も特に被害が大きく、多くの方々が犠牲になられました。
大震災直後からこの街は国の防災指定公園を囲む震災復興市街地再開発の指定区域として新しい街づくりが始まりました。
私たちは今街が新しく生まれ変わってもあの日あの刻を検証し、決して忘れること無く伝承していかねばなりません。
そして今、ここに亡くなられた方々のご冥福を改めて深く祈念いたします。
復興十年槌音止まず 鎮魂の祈り 未来へ伝う
平成17年1月17日 六甲道南公園検討委員会
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