阪急園田駅の南の方にある下園(しもぞの)公園。道路を挟んで2つに分かれていますが、合わせて一つの公園です。
資料によれば、戦前の区画整理事業で整備されており、1940年(昭和15年)の開園は、尼崎市の中でもかなり古株の公園のひとつです。
駅に近い方は、敷地が変則的で、それほど使いやすい形をしていません。
そのため、中央にできるだけ大きく広場を取って、残った角に樹木を多く植えるような構造になっています。
健康器具もあるので、散歩途中に立ち寄って、少し体を動かすくらいの使い方が中心になるでしょうか。
木陰にはスツールがたくさん並べられていますが、広場の隙間に詰め込んだような印象は拭えません。
南側の敷地も、北側よりはまとまっていますがやっぱり変形で、周りが区画整理されているのに対して、なにか落ち着かない形状です。
遊具は、砂場と揺れる乗り物はフェンスで囲まれた幼児コーナーとしてまとめられています。
メインになるのは、大振りな滑り台や斜めガケ登りなどを持つ複合遊具。ご近所の公園に置かれるものとしては、やや背が高めで、遊びごたえがあります。
こちらは古株のコンクリート製の滑り台。モノはしっかりしているので、青いペンキの塗り直しだけはお願いしたいところです。
そのほかには、4連ブランコやステップ遊具など。
丸太のステップ遊具というのが、当節となっては新鮮です。
南端まで来ると、藻川の堤防まですぐそこ。ちょうど駐車場の分だけ空間が開いているので、堤防がよく見えます。と、ここで、はたと気付きました。
「いま歩いてきた公園って、藻川に向かって一直線に続いてるのでは?」ということに。
区画整理されている道路・街区に対して、公園敷地が斜めに、かつ変形で食い込んでいるような敷地形状がどうにもスッキリしなかったのですが、地図で見れば明白。公園は南北軸にそって配置されているのに、道路・街区の方は藻川の流れに沿って方位を45度ほど振っているから、妙にいびつに感じたのですね。
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マピオン地図:©(株)ONE COMPATH より |
これを尼崎市のHPに掲載されている地図『復興尼崎市』(1950年)で確認すると、想像したとおりの道が描かれていました。まっすぐ南へ下がると藻川に突き当たり、そこに旧・善法寺橋が架かっていますので、昭和中頃まで、ここが川南へと向かうメインルートだったことがわかります。
いまの善法寺橋は300メートルほど上流にありますので、おそらく、
- もともと橋が架かっていて、そこへ真っ直ぐ向かう道を残しながら周りを区画整理した
- その後、河川改修で川幅が広がったり、自動車が通れる橋が必要になったりしたので、別の場所に橋を架けかえた
- 不要になった道路敷地を公園敷地に組み込んで、下園公園を作り直した
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『復興尼崎市』(1950年) |
歩いて感じた不思議を調べてみたら、気づくこともあった下園公園でした。
推察で書いた内容も多いので、下園公園や旧・善法寺橋の歴史に詳しい方は、ぜひコメントをお願いします。
(2024年11月訪問)
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