3611/1000 御館山公園(大阪府和泉市)

2024/05/01

身近な公園 大阪府 和泉市

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大阪府和泉市の府中町は、その名の通り、付近に律令時代に和泉国の国府が置かれていたとされることから付いた町名です。
中でも、実際に国府建物があったと推察されるあたりに御館山公園があり、「和泉国府廳趾」と刻まれた記念碑が建てられています。訪ねたのが夕方で、記念碑が樹の下だったので真っ黒の写真になってしまいましたが。

ちなみに、裏面は御館山児童遊園地の整備記念碑になっており、1971年(昭和46年)5月に建立したと刻まれています。こういうのもリバーシブルと呼んで良いのでしょうか。

ただ、とくに碑文もない記念碑一つだけでは不安だったのか、1987年(昭和62)に解説石碑が隣に建てられています。

■石碑より「和泉国由来 御館山国府庁跡」

一.和泉地名の由来:仲哀天皇9年神功皇后が行啓なされた時、今の和泉国のある地中(現泉井上神社境内)に突然清水が湧きだし流れて河川となった。汲んで味わうと甘露のごとく人々は皆驚き、このの霊泉湧出の地を泉郡と名付けたと伝承されている。
一.和泉国の創設:続日本紀に、元正天皇霊亀2年(716年)「三月癸卯割河内国和泉日根両郡令供珍努宮」又「夏四月甲子割大鳥、和泉、日根三郡始置和泉監」とあり、河内国より三郡(大鳥・和泉・日根)を割って始めて和泉監と言う行政府を 現在の和泉府中の地に置いた。その後孝謙天皇の天平宝字元年5月(757年)には正式に国司をおいて国号を和泉国として後世に及んだ。又国司として紀貫之、凡河内躬恒、源順など著名な歌人が多く赴任してきた。
人よりもわきて嬉しきいづみかな 霊げの水のまさるなるべし(赤染衛門)

さて、そんな石碑の付近から園内を見渡すと、この風景。
手前に小広場、奥に複合遊具が置かれた遊具コーナーがある小公園です。

反対に遊具コーナーから石碑の方を眺めると、こんな感じ。
往時の国府・国衙の敷地面積というものをよく知りませんが、この公園だけでは、たぶん建物の前庭くらいの広さもないのではないでしょうか。

泉が湧いたという泉井上神社の鳥居下からまっすぐ見通せる御館山公園でした。

(2023年7月訪問)

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