都筑(つづき)中央公園は、港北ニュータウンの中心駅であるセンター南駅から西へすぐ、都筑区内最大・総面積約19.6haの総合公園です。と言っても、大半が丘陵地の里山を残したもので、平坦なところがほとんどないので、数字ほどの広さは感じられません。
港北ニュータウン全体に張り巡らされた緑と水のネットワークの拠点でもあり、ここから緑道・遊歩道だけを通って、町の色々なところへ行くことができます。
駅の方から歩道橋を渡り、コンクリート製の門をくぐって園内に入ると、園内で唯一と言ってもよい平場の円形広場。
とは言え、舗装された広場の有効面積は、ざっくりと1,000平米ほど。少年野球の練習くらいならできそうで、街区公園の多目的広場でも見かけるサイズです。
広場の端の方まで行くと、舗装広場から芝生敷きの緩い斜面地に変わり、宮谷戸大池を眺められるようになります。池の横に建っているのはレストハウスらしいのですが、この時は中まで入りませんでした。
ここから先は山ばっかりという感じになるのですが、とりあえず公園橋を渡って、案内図にあった境田貝塚に向かってみます。
球技ができるような平場はないのですが、丘陵の地形を上手に使って園路や林地、小園地などが配置されているので、歩いていて飽きる事がありません。園内だけでハイキングが楽しめるので、小学生くらいの遠足にも向いているように思います。
とか言っていると、丘陵頂部の少し開けたところに出て、ここに境田貝塚という解説板が建っていました。
が、何があるわけでもなく、広場の隅に解説板だけが立っています。
この解説板の向こうの小さなスペースの地下に、貝塚跡が埋まっているのでしょうか。
現地の解説板より
境田貝塚は、ハマグリや温暖系のバイガイなどを主体とした縄文時代前期(6000~5500年前)の貝塚です。貝塚は、物の捨て場で(ゴミ捨て場)で、ムラの周りなどに貝殻等を捨て、積み重なってできたものです。現在よりも温暖な気候であったこの時代、港北ニュータウンの中央を流れる早渕川流域には、海が入り込んでいました(縄文海進)。入江周辺の丘の上には貝塚を伴うムラがいくつか形成され、その最奥部の海辺を見下ろす場所に位置している境田貝塚も、そうしたムラのひとつと考えられます。港北ニュータウン土地区画整理事業に伴う発掘調査では、弥生時代・古墳時代の住居跡等が発見されていますが、貝塚を作った時代の人々の住居跡は、まだ見つかっていません。
そこから尾根伝いの遊歩道を登って、ステージ広場と書かれた方向へ向かってみます。
こちらがステージ広場。90度分くらいの弧になった客席が、小さなステージを囲みます。森の音楽会などに程よいサイズ。
しかし、ここまで楽器を持って歩いてくるのは大変なので、コントラバスやチューバはお休みです。
ステージから、客席の方を眺めてみます。頂上の休憩所が、ちょっとした神殿のようにも見えて、ギリシアの野外音楽堂のようでもあります。
ステージ広場から、西の方へ坂を下りると、そこが「ばじょうじ谷戸」。
休憩所や里山ボランティアのための活動拠点が整備されており、田畑・湿地・雑木林などの保全活動が行なわれています。
訪れた日は窯で作業をする人はおらず、閉ざされたフェンスの向こうに見るしかないのですが、どうやら陶芸窯ではなく、炭焼き窯であるようです。
さらに坂道を下りてくると、そこが「ばじょうじ谷戸」出入口。下写真は公園を出てから振り返ったところです。
でも公園を出てからも質の高い緑道が続いている都筑中央公園でした。
(2023年11月訪問)
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