このところ訪ねている尼崎市の旧・今北地区は、平安時代の荘園に始まり、明治の初め頃まで今北村という独立した村だったそうなのですが、そこに「芋」という枝村(一つの村から分かれた村)がありました。
すこし面白い村名の由来については、Web版尼崎地域史事典apediaに、”芋村の地名由来については不明である。一般論としては、芋の農業栽培に由来する、あるいは鋳物師が居る鋳物師村に由来するなどといったことが考えられるが、現尼崎市域の芋村についてこれらいずれかの説を採るべき明確な根拠を現在のところ見出すことはできない。"と、非常に正直に「わからない」と記述されています。
そんな旧・芋村にある芋公園。区画整理事業によって1984年に整備された小公園です。
ということで、園内の中央部には区画整理事業の記念碑・記念樹があります。
尼崎市では、都市化が進む中で旧地名・字名を残すために公園名にそれを取り入れる方針が採られているのですが、それでも都市計画審議会に対して”公園名を「芋公園」として提出したところ、「芋公園なんて都市化にそぐわない。変えるべきである」との意見が出たことがありました”(『尼崎市の公園』より)そうです。やっぱり、なんとなく「芋」にマイナスイメージを感じてしまうのでしょうか。
でも尼崎市では、昭和中期まで「尼いも」というサツマイモが特産だったそうなので、芋を恥じる必要はまったくありません。
さて、現在の公園。
三方向で道路に接する長方形の整った形状をしており、中央付近に記念碑スペースを置いて敷地を分け、半分を遊具広場、半分を土敷きの広場としています。
遊具広場のメインは木製フレームの複合遊具。滑り台、タイヤブランコ、雲梯、ラダーなどが複合しています。
タイヤブランコは、ブログ作者としては好きなのですが、通常のブランコよりも重く不規則な動きをしがちで、周りで遊んでいる子供と衝突すると危険なため、だんだん姿を消している遊具の一つです。
ここも、別に2連ブランコがあるので、タイヤブランコの方は遠からず撤去されてしまうのではないかと懸念します。
それに比べると、木製の平均台やコンクリート製の凸凹した遊具は、シンプルですが壊れにくく安全な遊具でしょう。
でも、この公園のコンクリート造形遊具への執着は、いささか突き抜けています。
砂場の横にあるのは、円錐や半球、円錐台など5基、
ベンチの近くには、円錐や円錐台を斜めにひねったような形のものが3基、
さらに広場の一角にも、3基が置かれています。
酒船石のような水飲み場も含め、コンクリート造形物が印象に残った芋公園。
できれば公園名のほかにも、多少の「芋要素」も欲しかったところです。
(2023年4月訪問)
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