大阪の京橋駅は、JR2路線と京阪本線、大阪メトロが連絡するターミナル駅ですが、ここから徒歩2~3分のところに京橋公園があります。
ここでは、元々あった公園が30年ほど前に地下鉄工事とあわせて大改造を受けて、駅のショッピングモールと一体化した姿になっています。
書き連ねてもうまく説明できないのですが、地下2階にある広場をロの字に取り巻くような地下建物があり、その屋上は周りの道路からやや高い位置にあって、それがすべて公園になっています。
つまり、元々公園だった土地を丸ごと垂直に掘り下げて地下鉄工事を行なった後に、地下のみ2階建てのショッピングモール建物をつくり、屋上(=地上)は道路から入ってこられる公園、地下から見れば大きな吹き抜けがある立体的で明るい半地下街をつくった、という流れではないかと思います。
これを大阪市の都市計画資料「マップナビおおさか」で見ると、下図の緑色の範囲が京橋公園で、計画面積0.67haのうちすべてが開園している事になっています。
ということは、屋上(地上)でパッと見て公園になっているところは当然ながら、地下街のうち広場状になって空が開けている部分も公園敷地で、平面投影して地上と地下2階を合わせて京橋公園の0.67haということなのでしょうか。
もしそうなら非常に珍しい構造なのですが、なにぶん30年も前の事業なので、詳しい資料を見つけることができませんでした。
事の真偽はさておき、一般的に公園として認識される屋上(地上)は、屋上なので当然全体が舗装され、所々に植桝で土を集めて植樹をするスタイルです。
ほぼ全体が広場状ですが、植桝の周りに座れる場所が多いので、繁華な市街地では貴重な休憩スペースになっており、仕事や買い物の合間に立ち寄る人が多いようでした。
少し歩けば大阪城や大川端などの桜の名所がありますが、ここも悪くないですね。
そんな近代的な公園の中に、木造の地蔵堂がありました。
由緒書を見ると、周囲が開発される中で、あちこち動いて、やっとこの公園内に落ち着くことができたそうです。
■現地の由緒書より「延命地蔵尊由緒」往昔より京、伏見との旅人の往来繁き京街道に沿う地、摂津之國東成郡野田村坂口に在り。文化の頃(1804年~1818年)より近在住民の尊崇を受け家内安全、安産育児、無病息災を祈願する延命地蔵尊として衆人の日々篤き信仰に依り、守り祀られて来た。而し世の変遷に順い或る時は「蒲生の墓域」に移り又、地下鉄建設工営に伴ない両三年、東野田公園に仮祀され漸く今般京橋公園に復座建祀される。冀くは愈々諸人を哀愍護念し給えと希い奉り茲に撰文する。維時平成2年(1990年)陽春3月 有志合掌
都心部の公園ならではの苦労やアイディアが滲み出ている京橋公園でした。
(2023年3月訪問)
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