新宿区の牛込地区は、江戸時代には武家屋敷が多い町として開発され、今も当時の町割りを残す住宅地の色合いが濃い地区です。
そんな牛込でも南の方、どちらかと言えば神楽坂と呼んでよいエリアに若宮公園があります。
ちなみに、坂を登って公園のすぐ西まで進むと神楽坂若宮神社。町名の由来になったものだろうと思います。
江戸時代にはけっこう大きな境内を持っていたそうですが、いまは小ぢんまりとしています。
そうした町に、平成の初め頃につくられたこの公園は、武家屋敷のイメージを取り入れた和風デザインで全体がまとめられています。
そのデザイン面が評価されたのか、平成7年(1995年)には国土交通省の手づくり郷土賞を受賞しています。
受賞の時の資料には、次のように書かれています。
新宿区の牛込地区は、明暦の大火の後に武士が移り住み、以後住宅地として今日に至っており、周辺には江戸城外堀跡、牛込見附門などの史跡がある。
「若宮公園」は、こうした地域の歴史性を考慮し、武家屋敷をイメージした和風デザインによる空間づくりを行い、江戸時代の牛込地区を思い起こせる公園として整備が進められたものである。
公園には、冠木門、漆喰塀、井戸廻り、四阿などが設けられ、植栽についても和風の趣をもった松、梅、竹などを植え込んで、風情のある景観を演出している。
また、公園の地下には雨水を貯水できる水槽を設置し、植栽への潅水に用いたり、敷地の高低差を生かして地下倉庫を設置し、リサイクル資源の一時保管場所とするなどの機能も備えている。
こだわりのアイテムの筆頭に挙げられる冠木門は、これでしょうか。外堀の方から坂を登っていく途中の出入口に作られています。
漆喰塀は、これですかね。門柱の横だけ少し背が高い塀になり、園内にも腰高くらいの漆喰塀がめぐらされています。
井戸廻りは、よくわからないですね。
防災用のポンプ井戸を外した跡があるのですが、造園的に見せる井戸廻りは見当たりませんでした。
四阿は瓦葺きの立派なものですが、寝泊まり・煮たき・飲酒を防ぐためなのでしょうか、腰を引っ掛けることしかできないタイプのベンチが置かれ、壁の方には竹矢来で人を近づけないような形になっていました。
おそらく、整備当初はもっと美しい四阿だったのでしょうが、どこかの段階で、今のように人を寄せ付けない姿になってしまったのではないかと考えます。
大ぶりで3~4人が寝泊まりできるほどの四阿ですので、ずっとここに定着してしまう人がいて周辺住民の皆さんが困った挙げ句の対応なのでしょうが、結果として誰も使う気がしない場所になっている気がしてなりません。
そういう風に思い始めると、少し高くなった植え込みの壁部分も、元々は座れるようになっていたのに、それを邪魔するために大型プランターを並べているように見えてきます。
つくった時の関係者の思いと、都会ならではの悩み事が交錯する新宿区の若宮公園でした。
(2022年11月訪問)
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