宜野座村の松田地区は、地区が管理している松田鍾乳洞で有名な村です。と言いながら、知ってるだけで行ったことはなかったのですが、先日、名護からの帰りに少し寄り道してきました。
すると鍾乳洞だけでなく、史跡・文化財の周りが公園として整備された箇所がいくつかあったので記録します。が、公共施設としての正式名称がわからないので、宜野座村HPの村政要覧に掲載されていた「松田地区史跡公園」がそれだろうと推察して、そう呼びます。
まず松田バス停から北に向かったところにある広場。円形の舗装部分は普通に自動車で通り抜けできるのですが、芝生部分にはベンチなども置かれていて、公共広場として整備されています。
この一角に小さな祠があり、「ジョーヤ前広場」と名付けられています。
こちらが祠。訪ねた時は雨降りだったので、ここでしばらく雨宿りをさせてもらいました。
■門屋前広場
ジョーヤ(門屋)とは、隣村の宜野座から神アサギでの祭祀に訪れたノロとノロ掟神(ノロウッチカミ:ノロの補佐役)の休憩や歓待を任っていた旧家のことをいいます。現在、神アサギの跡地には門屋に関わる祠が建てられています。
当地は、現在でも豊年踊(豊年祭)の際に舞いが奉納され、旗頭を中心としたガーエーが行われる場所です。
「ジョーヤ前広場の祠は神アサギの跡地だ」と書かれていますが、もう少し進むと土帝君の祠があり、現在の神アサギはその横手にありました。
■神アサギ
神アサギとは、神を招請する村の祭祀場の事であり、壁がないのは神女だけの祭りではなく、村人全体の祭りであるが故に開け放しになった造りとなっています。また、軒が低く造られているのは不浄な畜類が入らぬように考えてのことと云われています。
なお、松田の神アサギにおける2月ウマチー(麦穂花祭)、3月ウマチー(熟麦穂祭)、5月ウマチー(稲穂祭)、6月ウマチー(熱穂祭)等の祭祀については、宜野座ノロが必ず臨席のもとに行われたと伝えられています。神アサギは、以前、ジョーヤ(門屋)の隣地にありましたが、昭和33年頃に現在の場所に移動しています。
こちらが土帝君の祠。
土帝君の祠から道を挟んだところに階段があり、松田鍾乳洞(メーガー洞)へと続いています。
かなり雨が降っている日で、森の先が真っ暗に見えて少し怖いのですが、降りていってみます。
階段を過ぎて、森の中の遊歩道を少し歩いていくと、
メーガー洞の入口に着きました。中に入って見学することものできるのですが、地区の体験交流センターに申し込んでからでないと入れないので、この時はここまで。
だいたい、雨でかなり増水しているように見受けられ、たぶん中に入っても楽しくなかっただろうと思います。
沖縄の鍾乳洞は、先史時代からグスク時代くらいまでの遺跡となっていることが多いのですが、ここメーガー洞もメーガー遺跡として、土器や磁器などが見つかっているそうです。
ということで、ここも史跡公園の一部だと言えます。
■現地の解説板より「メーガー遺跡」メーガー遺跡は、地下河川の作用によって形成された鍾乳洞の天井が落盤してできた陥没ドリーネの「メーガー洞穴」に立地する遺跡です。洞穴の中でも「ミーガー」と呼ばれる場所は、水道が普及する以前、飲料水を採取する大切な水場であり、沖縄戦時には人々の避難場としても利用されました。また、「ウマアシビグムイ」ではウマの水浴びや山羊・豚の屠畜が行われていました。洞穴の「クジキガー」と呼ばれる場所は、かつて海の貝や灰の層が堆積しており、村教育委員会の試掘調査では、陥没ドリーネに投げ込まれるようにグスク時代の土器・白磁・青磁・鍛冶場の痕跡を示す石製の「フィーゴの羽口」が出土しています。また松田地区には洞穴に棲んでいたという大蛇の伝説があり、メーガーの岩陰には大蛇を退治した首里のお坊様の墓も残っています。メーがー遺跡は、鍾乳洞を観察できる場所であり、グスク時代の人々の水場を利用した生活や地域にまつわる伝説を考える上でも、重要な場所となっています。2019年9月 宜野座村教育委員会
次は晴れた日に訪ねてみたい宜野座村松田地区の史跡公園でした。
(2022年6月訪問)
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