さて、豊臣秀吉の時代に和歌山城が築かれる以前、その周辺は紀の川河口近くの砂丘が連なる土地だったそうで、城内にはそれを取り込んだ「砂の丸」という区画もあるほどです。
砂山公園がある付近はお城からは1kmほど西南に離れ、江戸時代にはすでに武家町として開発されていた地区なのですが、そこの小字として「砂山」が残っていたので、周りと比べてもとくに砂が目立つところだったのかも知れません。
公園ができたのは1958(昭和33年)。約6,800平米あって、市街地ではかなり大きめの公園です。南北に長い長方形をしており、おおむね南半分が遊具広場、北半分が少年野球場になっています。
遊具広場の顔になるのが、おそらく開園当時からあるのではないかと思われる石の山の滑り台。
No.2972 岡東公園で見たような巨大なものではなく、小さな子供でも安心して滑れるサイズの丸いお山です。
もし本当に開園当時からのものなら、すでに60年以上が経過しているので、「親子3代がこの滑り台で遊んだ」という方もおられるかも知れません。
単純なコンクリートの山とはせず、割石を使って表面を飾っているところなど、なかなか手が込んでいます。もしかすると「砂山」を表現しているのかも知れません。
せっかくなので、石の山に登って頂上から野球場を眺めます。
このサイズの少年野球場が和歌山市街地のあちこちの公園にあることが、高校野球で伝統的な強豪県になっている背景の一つではないかと考えます。
石の山遊具の周りを囲むように各種の遊具が配置されています。こちらは比較的新しい複合遊具。
やや細長い形をしており、雲梯から谷渡り、ネット遊具などを乗り越えて滑り台までたどり着くという構造になっています。
ブランコも、おそらく複合遊具と同時期に今のものに入れ替えているのではないかと思います。
これも和歌山市街地でよく見かけた、1ハシゴ2滑り部のハの字型滑り台。
そして幼児用プールも和歌山市ではお馴染みです。
充実の遊具と大きな広場、爽やかな木陰をもって、静かな住宅地の中にしっとりと溶け込む砂山公園でした。
(2021年12月訪問)
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