神戸市の西部・須磨海岸を見下ろす山手一帯は、明治中頃から別荘地として開発が進み、とくに1914年(大正3年)に武庫離宮、現在の離宮公園が開かれてからは別荘地としてのステータスもあがり、大戦景気で大阪・神戸の産業界が沸いていたこともあって、続々と豪邸が建設されます。
そんな豪邸群の中でも藤田財閥の創業者である藤田伝三郎(1841~1912)の別邸は、戦後にガーデンレストラン「藤田ガーデン」として一般に開放された時期もあったため、地域の年配の方の記憶によく残っている邸宅でした。
しかし藤田ガーデンは昭和中頃までには閉鎖され、阪神・淡路大震災後には大規模マンションとして開発されてしまいました。そんな藤田邸の跡地の一角にあるのが、潮見台南公園です。
1961年(昭和36年)の空中写真には建物も写っているのですが、東隣にある邸宅(久原邸)との間が樹林地になっているので、実際のところの藤田邸の範囲はよくわかりません。が、今の建物配置と照らして、だいたい赤線の範囲くらいが藤田邸、青線が今の潮見台南公園です。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より/ 整理番号:MKK611/コース番号:C16/ 写真番号:173/撮影年月日:1961/05/22(昭36) |
公園としては2001年に開かれたそうですが、そこを覆う巨木たちは、邸宅時代の名残だと思われます。
邸宅の建物はなくなっても、マンションの建物との一体感は非常に強く、園内を通り抜けてマンションへと通じる道がハッキリと作られています。
上写真から10歩ほど進んだところが、このようになっています。
世の中には大型マンションと一体的に整備される小公園は多いのですが、ここまでハッキリと公園がマンションのエントランスガーデンになっている例は珍しいと思います。
そこから右を向いて園内を眺めると、だいたい園内全体が見渡せます。
遊具やベンチなどの公園っぽい施設はなく、ほぼ緑地です。
かろうじて手洗い場だけは設置されています。
昨今のコロナ禍では手洗いが重要なので、ちょうどよかったかも。
庭園時代の庭石から転用されたのではないかと思われる石は、ベンチ代わりと言えばそうですが、それほど座りやすい位置にあるわけでもありません。
敷地の端まで行って振り返ると、はじめは気づかなかったカイヅカイブキの古木が目に入りました。
梢のほうが枯れてきており、添え木で支えられているような状態ですが、かなりの巨木です。
でも園内が狭く、まわりにクスノキなど常緑樹が茂っているため、全体を写真に収めることができませんでした。
敷地の広さに対して、樹木がちょっと育ち過ぎになってきている感もある潮見台南公園でした。
(2021年3月訪問)
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