その名の通り、阪神・淡路大震災を受けて追悼や伝承の場として整備された小公園です。
色々訪ねて知ることが増える西宮震災記念碑公園でした。
と言いつつ、普段は自由に使える広場ですので、訪れた時は子供たちで溢れていました。
中央の大きな碑が追悼碑。震災で亡くなられた方のお名前が刻まれています。
碑文によれば西宮市内で1,146人が亡くなられたそうですが、お名前はそれよりも少ないようには思います(正確に数えたわけではありませんが)。当然、名前は載せたくないご遺族もいらっしゃいますので、そこは致し方ないところです。
ただ、この位置・形だと、広場を利用する人がお尻を載せて腰掛けるのにちょうどよい状態になってしまっているので、震災のモニュメントとしてはどうだろうかという気もします。
震災記念碑から少し奥へと進むと、元からあった戦災の慰霊塔に出ます。
こちらについては現地に解説板などがなくて情報不足なのですが、ネット資料によれば1955年(昭和30年)に建設されたものらしいです。
その2つの碑の間に、2020年(令和元年)に建てられた「小説 火垂るの墓誕生の地」の碑があります。
「小説が誕生した地」という表現もわかりにくいところがありますが、作者・野坂昭如の実体験を踏まえて書かれた物語の中で、主人公の清太と節子の兄妹が親類宅を追われた後、ホタルを眺めた場所が池のそばの防空壕でした。
実際に野坂が避難していた防空壕も特定されているそうなので、その辺りを諸々踏まえて「誕生の地」ということで理解しましょう。
メインの碑の右には映画(小説)のワンシーンが刻まれ、左には野坂昭如の略歴が記されています。
肖像は30~40歳ごろの写真でしょうか、さすが「プレイボーイ」だけあってビシッと決まっています。だいたい、記念碑の肖像写真がサングラス姿という時点でシビレますね。
火垂るの墓の記念碑の近くには、小さな噴水か手洗い場かと思うのですが、ずいぶん古い水周りの施設が残っていました。
日本酒で有名な灘五郷の一角を占める西宮市だけに、酒樽を象った装飾の中心には、「西」の字に「ヤ」が3つで「にしのみや」の市章が入っています。
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