■葛飾区史 第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)より【鎌倉】後半部分に書かれた「曼荼羅村」から名前をとったと思われる、まんだら公園。
近世の新田村。「新編武蔵」に「昔相州鎌倉郡ヨリ源右衛門トイヘルモノ。来リテ開發セシユヘ。此名アリト云」と明記されている。また村内から曼荼羅が掘り出されたため、曼荼羅村の別名もあった。
命名の手順にはなにも問題はないのですが、結果としてすごく不思議な公園名になっています。
ほぼ全体がフェンスに囲まれた多目的広場になっており、住宅が建て込んだ地域で、スポーツや防災に役割を果たすタイプの公園です。
資料をあたってみると、葛飾区立児童遊園条例に「付則(平成21年3月27日条例第17号)この条例中別表まんだら児童遊園の項を削る改正規定は平成21年3月31日から(中略)施行する。」とありますので、平成21年(2009)3月までは児童遊園だったものが、拡大・再整備されてまんだら公園になったもののようです。
元々が児童遊園だったからか、今でも野球、サッカーなどは禁止です。
これだけ広いのに球技が禁止だなんて、少しもったいないように思いますが、それぞれの地域の事情があるので仕方がありません。
ということで、できることといえば、線路のそばで揺れる動物遊具に乗ることくらいです。
その分、防災関係の施設を充実させて、いざという時に備えているまんだら公園でした。
(2019年4月訪問)
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