が、鎌倉なだけに「名前だけは聞いたことがある」という不自然さもあって、なんだか不思議な町です。
葛飾区の資料によれば、相模国の鎌倉から来た人が新田開発を行なったので「鎌倉」になったという説が紹介されています。
■葛飾区史 第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)より【鎌倉】その鎌倉にある鎌倉公園。
近世の新田村。「新編武蔵」に「昔相州鎌倉郡ヨリ源右衛門トイヘルモノ。来リテ開發セシユヘ。此名アリト云」と明記されている。また村内から曼荼羅が掘り出されたため、曼荼羅村の別名もあった。
大仏はありませんが、区画整理事業の大きな記念碑がありました。
園内は、間に一般道が通って、大きく東西2ブロックに分かれています。
東ブロックは遊具や広場があって自由に使える、いわゆる「公園」の姿となっており、西ブロックはプールと野草園があって目的利用のための空間になっています。
訪れた日は、そこそこの雨。
東ブロックの中を貫く京成線の高架下が頼もしく感じます。
実際、この高架下に海賊ブランコ(2連)、複合遊具などが集まっており、雨の日でも遊べるようになっています。
海賊ブランコは元々平べったいのですが、この複合遊具など、高架下にピッタリな細長いタイプのものを探してきたのではないかと思うほどの収まりのよさです。
...と、ここまで高架下の遊具について書いてきたのですが、じつは葛飾区の公園紹介ページには、「鎌倉公園に隣接する北総線高架下の鎌倉児童遊園は遊具コーナーとなっています。」と書かれています。
現地ではとくに境界を示すものはなかったように思うのですが、今まで見てきたのは鎌倉児童遊園だったようです。使う人にとってはどっちでも構わないことですが。
ということは、高架下ではないところに設置された遊具こそが、鎌倉公園のものなのでしょうか。こちらの、下にしっかりとマットが設置されたイマ風の登攀遊具や、
巨大な砂場と一体となった、ムカシ風の登攀遊具(岩場)など。
そのほかに、サクラのきれいな広場、草敷きの低い丘などもあるのですが、雨で歩き辛かったので、遠くからの写真で失礼します。
続いてプールと野草園がある西側のブロック。
出入口には、大きく「鎌倉公園プール・野草園」と書かれており、存在を主張しています。
でも、プールの老朽化が進んだため廃止が検討されているようで、現地に貼ってあったお知らせには、プールがなくなった後の図が示されていました。
どちらにしてもプールの様子は外からは窺えないので、野草園に入ります。
入園は無料なのですが、開園日・時間はけっこう短めで、たまたま訪ねた時に入れたことは、運が良かったかも知れません。
いつ頃に整備された施設なのでしょうか、日本庭園とも違うし、今風のビオトープとも違う、なんとも言えない趣きがあります。
葛飾という土地柄もあってのことでしょうか、水辺の野草が多く使われているように見えました。
これから大きく変わることが決まっている鎌倉公園。
次に訪ねるときには、どんな公園になっているのか楽しみです。
(2019年4月訪問)
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