たかのは公園は、赤穂市の旧城下町のエリアにある小公園です。
現地の解説板によれば、47士の一人である大高源吾の居宅跡だということです。
タミヤ「1/35スケールモデル忠臣蔵 8人組」より 右上が大高源吾 |
■現地の解説板より抜粋「大高源吾忠雄」
源吾は大石内蔵助に最も信頼された一人で、貝賀弥左衛門とともに神文返しの命を受け、京・大坂・播州の同志宅を訪ねて盟約者淘汰の任にあたった。また、堀部安兵衛ら江戸急進派鎮撫の使者も務めている。
ちなみに解説文にある「神文返し」というのは忠臣蔵の物語の中盤の山場で、敵を欺くために京都で遊興にふける(ふりをしていた)大石内蔵助が、次の一手として同志を選別するために大高源吾らに密命を与え、同志として名乗りを上げた人たちが書いた血判状(神文)を持っていかせて「大石内蔵助はフヌケてしまったから、もう討ち入りなんかできません。神文も返すから諦めましょう」と伝えさせる、という場面です。結果、これを受け取らなかったメンバーだけが、固い結束のもとに討ち入りに参加するわけです。
さて、そんな逸話から入ったたかのは公園ですが、公園としてはいたってシンプル。
区画整理された地区にある長方形の整った形状をしており、真ん中に東屋をおいて、北側を遊具コーナー、南側を土敷きの広場としています。
遊具は、大きなジャングルジムから2本の滑り台が飛び出してくる複合遊具が目立ってます。
裏側に回るとラダートンネルや登り棒も付いており、複合度は相当なもの。
ペンキの塗り直し作業が、かなり大変だと思います。
そのほかには、赤穂市街地でよく見かける鎖を編んだ登攀遊具、ブランコなどもあります。
そういえば、討ち入りの面々は鎖帷子を着込んでいたそうです。
遊具コーナーと広場とを区切る中央部には、屋根のついた東屋と、緑が気持ちよく茂った藤棚とがありました。藤棚の横に佇む棕櫚が見た目に面白いところ。
ところで、やや唐突な感もある「たかのは」という公園名ですが、赤穂浅野家の家紋である「鷹の羽」にちなんで付けられたようです。
まぁ赤穂全体が浅野家のものだったので構わないと言えばそうなのですが、どうせならここでは大高源吾を取り上げても良かったのではないかと思うたかのは公園でした。
(2018年10月訪問)
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