奈良・春日大社を勧請した春日神社があることから「奈良」と呼ばれるようになったという茨木市の奈良地区。現在は奈良町、春日町、東奈良などの町名があります。
このうちの東奈良から、弥生時代の銅鐸製造工房、製造集団の集落だったと考えられる遺跡が見つかっており、この東奈良遺跡の一部を公園にしたのが東奈良史跡公園です。
遺跡そのものは、阪急南茨木駅付近を中心に、南北1.5km、東西800mに及ぶ大きなものだそうです。
大阪府文化財調査研究センター発行 『東奈良遺跡』1997.3.1より |
が、公園は南北20m、東西40mくらいの小さなもので、出土品などを展示している茨木市文化財資料館の北側に、「短い緑道」と言ってもよいくらいの規模で収まっています。
その緑道風の園路の両側に、展示物がポツポツと並んでいます。
こちらは遺跡から見つかった銅鐸の鋳型の模型。
■銅鐸の鋳型
昭和48年から翌年にかけて東奈良2丁目において石で作られた弥生時代の銅鐸の鋳型が数多く発見されました。この東奈良遺跡で造られた銅鐸は、香川県善通寺市、大阪府豊中市、兵庫県豊岡市等から見つかっています。
昭和59年3月吉日 茨木市教育委員会
銅鐸以外にも埴輪の模型がたくさん展示されています。
おそらく銅鐸とは違って、東奈良遺跡から出土したものとは関係ないように思うのですが、詳しいことはわかりません。
■埴輪
埴輪は古墳時代(紀元後300~600年)に作られた素焼の土製品で質は厚手でやわらかく吸水性があり赤みをおびたものが多く、種類には円筒埴輪と形象埴輪(家型・器財・動物・人物など)とに大きく分けられる。
これらの埴輪は死者を葬ったあと古墳の墓域を示すため、あるいは装飾用のものとして作られ古墳の周囲に飾られた。公園内に示している埴輪はその代表的なものである。
家。子供なら、いちおう中に入ることもできるサイズです。
武人。鎧兜を身にまとい、剣を持って立っています。
馬。立派なたてがみを持っています。
壺を持つ人。いわゆる給仕係なのでしょうか。
婦人。単に婦人というよりは、もう少し巫女っぽい方のような服装に見えます。
舟。人形のものは明らかに展示品ですが、この舟は砂場に置いてあり、遊具として扱っても良い雰囲気に見えました。
踊る人、にしては躍動感に欠ける気がします。照れ屋さんなのかも知れませんが、もっと大きなフォームで踊る方が良いと思います。
そして、埴輪や銅鐸とはまったく違う時代のもので、ついでにここに持ってきた風の道標。
あとは、東屋があります。
公園側からでは背中しか見えないのですが、どこかから移築されたらしい蔵の建物もありました。
見上げれば、JR東海道線から分かれて大阪貨物ターミナル駅へと向かう引き込み線の高架が見える東奈良史跡公園でした。
(2018年6月訪問)
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