目黒川沿いに建ち、図書館、児童館、スポーツ施設などが一体となった目黒区民センターの前庭的ポジションにある目黒区民センター公園。
区民センターの敷地と公園敷地との境界がまったくわからないほど一体化していますが、こちらの小広場はおそらく公園敷地でしょう。
ゲートボール1面分くらいの小さな広場の一角には、最近あまり見なくなった滑り面が鉄パイプの滑り台がありました。
いま見ると、芸術的な感もあるパイプの並び具合です。
その他には、コンクリート製の太鼓橋遊具、トーチカのようなトイレなど。
区民センターの前庭で、多くの区民が集まる場所の割には、味のある施設が残っています。
あと、これは遊具ではなく、茂みの中の忘れかけられたような場所に現代芸術の作品がありました。
安原喜武さんの作品で、作品名は”風になびく「モコモコ」”
生命の誕生、生命の出発、生命の躍動、永遠の生命を表現しているそうです。
その横手にはテニスコート。ここも公園施設なのかどうかは、よくわかりません。
そこから奥へと進むと、急に庭園風の園地に変わります。
この一角には「平和都市」としての目黒区の性格を強く打ち出した物件が集まっており、公園が整備・管理されてきたどこかの段階で、政策的な意図が働いたものと思われます。
まず、下写真が「めぐろ平和の鐘」。目黒区在住だった人間国宝・香取正彦の作品だそうです。
●現地の解説板より「めぐろ平和の鐘」
口径45cm、重量112.5kgこの梵鐘は、目黒区在住の重要無形文化財保持者「人間国宝」香取正彦氏から寄贈されたものです。
同氏は大正14年、東京美術学校鋳造科(現、東京芸術大学)を卒業後、鋳金作家として活躍され、特に戦後は、「広島平和悲願の鐘」をはじめ平和の願いを込めて梵鐘制作に専心してこられました。
この梵鐘は同氏制作による数多くの梵鐘のうち、「広島平和の鐘」、カナダのバンクーバー市(アジアセンター)「平和の鐘」と同型の、いわば三姉妹にあたる梵鐘です。
あの太平洋戦争終結から40年を経た昭和60年5月3日、目黒区は平和都市を宣言しました。これを記念して、同氏から寄贈された梵鐘を「めぐろ平和の鐘」と命名し、世界の恒久平和と区民の限りない幸せを祈念して、この地に設置しました。
昭和60年8月15日 東京都目黒区
続いて、絵的にヒョロっとした印象になっていますが、広島原爆に被爆したアオギリの二世。
●現地の解説板より「被爆二世のアオギリ」
平成2年3月25日植樹昭和20年8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下されました。
当時の広島市東白島町の旧広島逓信局中庭(爆心地から約1300m)に植えられていたアオギリは、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、その後焦土の中で再び芽を吹き成長しました。
(昭和48年5月に広島平和記念公園、平和資料館東側北側緑地帯へ移植)
ここに植えられているアオギリは、この被爆したアオギリから採取した種子から育てたもので、現在は実をつけるまでになりました。
この木を平和の象徴のひとつとして、これからも大切に育てていきます。
(崩友会・目黒区)
続いて被爆二世のカキ。こちらは長崎原爆に被災したものの二世だそうです。
現地の解説文がアオギリとほぼ同様なので、もう少し広島と長崎の違いみたいなものが出ていれば良かったのですが。
●現地の解説板より「被爆二世のカキ」
平成2年3月25日植樹昭和20年8月9日午前11時2分、長崎市に原子爆弾が投下されました。
長崎市若草町(爆心地から約800m)の民家に植えられていたカキの木は、熱線と爆風により焼けてえぐられましたが、その後5本のカキの木が実をつけるまでになりました。
ここに植えられているカキは、目黒区の被爆者団体である崩友会が長崎市を訪問した際、この被爆したカキの木の種子を分けていただき、発芽させ育てたものです。
原子爆弾が投下されてから60年にあたる平成17年秋に初めて実をつけました。この木を平和の象徴のひとつとして、これからも大切に育てていきます。
(崩友会・目黒区)
それら平和アイテムのほかには、苔むした東屋、大きな石灯籠などの庭園アイテムもあります。
そしてさらに進むと、ナイター設備まで備えた50メートルプールと、子供向けの小プールがあります。ここはおそらく、区民センターの施設です。
別にどこまでが公園で、どこまでが区民センターの施設か、などということは使う人にとっては重要ではないのですが、公園のことを書く本ブログにとっては迷いどころが多い目黒区民センター公園でした。
(2018年4月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿