いかにも京都らしい地名の「六条院」は、平安時代後期に白河天皇が構えた六条内裏に由来するとされます。また、源氏物語には光源氏が住まう屋敷として六条院というのも登場します。
そんな時代から900年くらい経ちますが、往時の名を伝えるのが六条院公園です。
敷地は、戦前には下京区役所があった場所らしく、手元の資料によれば1942年(昭和17年)に公園として開かれたことになっています。
しかし、京都市街地の明治以降の地図を見られる『近代京都オーバーレイマップ』で1951年の京都市明細図を見ると区役所と公園とが並んで描かれており、その後に区役所が移転した際に公園区域の変更などが行なわれたようです。
といった長い歴史と経緯を持つだけに、園内には今となっては用途がわからない謎物件が目白押しで、京都ならではのミステリー感あふれる公園となっています。
まず敷地の南端、周囲よりも階段3ステップ分くらいだけ持ち上がった広場があります。
公園施設として見た時に、ここだけを持ち上げる理由は無さそうなので、かつては建物か何かの構造物があった様子がうかがえます。
サイズ的には、25m×15mをギリギリ取れるかといったところ。テニスコートにも少し小さいくらいです。
まぁでも、No.754 南岩本公園でも見たように、京都市では都市公園内に小学生の授業で使えるような25mプールを整備することがあったので、「たぶんプールだろうな」と思って国土地理院の古い航空写真で確認してみると、1975年(昭和50年)の写真にそれらしきものが写っていました。
敷地南端の長方形がそれで、水が入っていないのでテニスコートのように見えるのですが、たぶんプールでしょう。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より/整理番号:CKK7415 コース番号:C8B/写真番号:10/撮影年月日:1975.01.07(昭50) |
なので、その横手にある小さなスペースは、幼児用のプール跡ではないか思います。
角にある構造物に水道管が来ていた跡のような穴もありますし、敷地のサイズ的にもちょうど良いくらいです。
ただ、幼児向けの施設をガチガチの石柵で囲むのもどうかと思うことと、京都市には「ちびっこプール」という名前で規格が揃った幼児用プールを整備していた事実とがあることから、これは遊ぶ用途ではなく、観賞用の噴水泉だったのかも知れません。
実際、2013年頃までは幼児用プールがあったことは資料で確認済みなのですが、それはこの石柵の外側というか、先に見た南端の小段へのステップを半分くらい塞ぐような位置にありました。
続いての謎物件は、敷地の東端、道路に接するところにある石造物。
これは形からして、また区役所があったことから考えて、旗を立てる掲揚台ではないかと思います。
裏側の丸く窪んでいるところに竿を差すようになっていると思うのですが...
ただ、この大きさではあまり高い旗竿は支えられないし、もう一つの石とセットになって二つで旗竿を挟み込むような構造になっていることが多いものなので、ぜんぜん見当違いのことを書いているかも知れません。
そして最大の謎物件が、この石造物です。
上の掲揚台?から10メートルほど離れた位置にあるのですが、まったく用途が思いつきません。
道路側から見ても、さっぱり。
水が流れるように溝が切ってあるので、水飲み場やなんらかの水景施設(噴水など)のパーツのようにも見えますし、建物に付帯する雨樋からの水を受ける部分の装飾だと言われれば、それも納得してしまいます。
しかし水飲み場だとすれば背が低すぎますので、長年の間に沈降してしまった等、色々と考えてみますがわかりません。
ただ、もう少し引いて周囲を眺めてみると、ほかにも枠石あるいは建物基礎のようなものがいくつか埋まっていることに気づきます。
しかし、枠石なら噴水池のようなものだし、基礎だったら建物に付帯する装飾的なものだろうし、やっぱりよくわかりません。
砂場のコンクリート枠と比べると、謎物件のほうが明らかに古いものだろうということはわかるのですが...
次は、ここまでに登場した謎の石造物と比べると、謎レベルはかなり低いハーフ土管型の遊具。
子供が潜り込むにしても、少し小さすぎるようにも思いますが、でもやっぱり遊具でしょうね。
裏口を出たらいきなり公園の家も多く、開園前の土地利用、開園後の公園施設の移り変わり、その後の周辺環境の変化など、色々と気になるところが尽きません。
一つくらい、公園側に戸口の開いたお店になればいいのに。
とまぁ、謎を中心にご紹介した六条院公園ですが、土管以外にもとくに謎のない遊具もたくさんあって、ラダー壁遊具、ブランコ、揺れる動物遊具などがあります。
あえて言えば、こいつが謎ですね。本ブログではヒト型に分類していますが、なにを模っているのかいるのかわからないスプリング遊具です。
余所者は勝手に歴史の重みと謎を感じていますが、近所には公園が少ないので幼稚園児や小学生たちが集まってきて賑やかであろう六条院公園でした。
(2018年4月訪問)
こんにちは。
返信削除確かにこの公園、なかなか謎な物体がいくつもあって気になっていたのですが、そんな歴史があったのですね。
公園内の公衆トイレの個室の壁には、猫や犬の水彩画タッチのイラストのタイルがあっておしゃれです。実はそのタイルの作者や由来を知りたくて検索でこちらにたどり着きましたが、意外な歴史を知れて面白かったです。
あと、ブランコの後ろの民家を改装しておしゃれなカフェができました。公園の中から入る(裏手からも入れます)なかなか変わったカフェです。
もちもち様
返信削除こんにちは、ブログ作者です。コメントありがとうございます。
謎物件については状況と想像で記事を書いているところも多く、地元の方にお聞きすればもっとはっきりしたことがわかるはずなのですが、なかなか都合よくそうした機会もないままに謎ばかりが積もっていきます。
トイレは外側からは見たのですが、個室にまでは入らなかったので、タイル画には気づきませんでした。
この記事を書いてから3年くらいですが、コロナもあって五条・六条あたりにはしばらく行っていないので、また機会を見つけてトイレとカフェに出かけてみたいと思います。また謎が増えるだけかも知れませんが...
今後とも拙ブログをよろしくお願いいたします。
今46歳の者ですが、幼い頃にここに京都市電が置かれており、その市電が児童預り施設になってました。
返信削除うちの親は六条児童館って言ってました。
匿名様
返信削除こんにちは、ブログ作者です。貴重な情報ありがとうございます。
昭和30年代、京都市にはまだ児童館がなかったため、法的な条件は満たさないまでも児童館の機能をもたせた「第2種児童館」を設置しており、これに市電の廃車両を流用していたそうなのですが、それが六条公園にもあったということは初めて知りました。
(公社)京都市児童館学童連盟のサイトには次のように書かれています。
昭和30年●当時の9つの行政区に市電の廃車を利用して児童館機能を持たせた,「第2種児童館」(平成11年度廃止)を設置したときから始まった。
昭和40年●両親の共働き等の理由により,昼間留守になる家庭の児童の保護育成をはかるために,「学童保育事業」(現・学童クラブ事業)に着手し,小学校の敷地などに学童保育所を設置した。
http://www.kyo-yancha.ne.jp/jidokan/enkaku.html
この2つがリンクして、電車を使った第2種児童館に、学童保育所としての機能が乗っかってきたものが、匿名様がご存知の40年前、昭和55年頃までは少なくとも使われていたのだと考えています。
歴史があるだけに謎の多い六条院公園。これからも折りに触れて情報収集をしてみたいと思います。