東石切公園は、標高100メートル以上の高地にあったNo.1737 石切駅前公園などからは少し離れ、標高約70メートルから40メートルにかけて30メートルの高低差がある敷地を使った公園です。
地形としては、山地から少し突き出た尾根の突先が公園になっており、端まで行くと眺めが良さそうです。
そうした目立つ場所には昔の人も集まりやすいもので、石器時代の遺物も見つかっているそうです。
■現地の石碑より「正興寺山遺跡とその周辺」
生駒山から西にのびる尾根の先端にあたるこの地は、かつて正興寺山と呼ばれる小円丘でした。
この山は大阪層群という第二紀鮮新世から第四紀最新世(洪積世)にかけて形成さえた地層の露頭であって、ここからはナイフ形石器という約2万年前の石器が採取されています。この石器は大阪と奈良の境にある二上山に産するサヌカイトを使用し、石刃核より縦長の剥片をとる技法によって製作されたもので、物を切る道具と考えられています。
石器が採取された地層はその後の整地によって無くなりましたが、付近には2つの横穴式石室をもつ夫婦塚古墳など数個の古墳からなる神並古墳群が残されています。
東大阪市教育委員会
正面の入口から入ると、園内の見える範囲は円形の広場になっています。
外周に沿って園路が通っていますが、それを無視して広場の真ん中を突っ切っていくと、正面に展望台と滑り台を兼ねた施設があります。
滑り台としてはそれほど大きなものでもないのですが、展望台と一体化していることで、砦のような雰囲気が出ています。
砦の上には地球ゴマのような屋根を持つ休憩所があります。
砦の上から園内を振り返ると、石切温泉のホテル、大型マンションの向こうに生駒の山並みが望めます。もっとも、ちょっと建物が目立ちすぎでイマイチの景観になっているように感じます。
反対に大坂市街地の方を見ると、周囲のビル群からひときわ飛び抜けた、あべのハルカスがよく見えました。そこに至るまでがズーッと市街地なので、昼間よりも夜景の方が際立つことと思われます。
しかし、視線を少し手前にずらすと隣接するお寺の墓地がよく見えます。
この墓地の隣を抜ける園路を150メートルほど歩くと、斜面下にある方の公園の出入り口に至ることができます。
ところで、少し気に留まったのは園路沿いの所々に置かれた謎の石造物。
先に引用したように、付近は石器時代の遺物が見つかった場所なので、石器をモチーフとしたモニュメントのようにも思うのですが、それにしては黒曜石で作ったナイフ形石器ではなく、どちらかと言えば握り込んで使う打製石器のような形をしています。
これが園内にポツリポツリと置かれているのですが、設置意図が今ひとつわかりません。
素直に単体のモニュメントと受け止めて良いものか、広場全体のデザインに関わるものなのか...
さて、そんな広場周りを後にして、約30メートルの高低差のある園路を下まで歩くと、細い一般道を渡って、小さな園地~遊歩道が続くブロックへと入ります。
そこから、いま来たほうを振り返ったところ。道一本分程度の幅で、先ほどの園地まで道が通じています。
このように、公園の中心部へと繋ぐ細長い公園敷地を、フライパンの柄に例えて「パンハンドル・パーク」と呼ぶこともあります。
もっとも、遊歩道はここで終わりではなく、尋常ではないつづら折りを経て、新石切駅の方までずっと続いています。
色々と面白いものを見かけた東石切公園でした。
(2017年12月訪問)
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