いかにも曰くありげな名前ですが、こういう時、港区の公園には「公園附近沿革案内」が建てられているので安心です。
●現地の「公園附近沿革案内」より
この公園附近一体を、今はなくなった笄橋にちなんで笄町とよんでいた。現在の西麻布2丁目、3丁目、4丁目にかかる広い地域である。天慶の乱(939年)のとき、源経基が帯びていた刀の笄を与えて川を渡ったという伝説や国府方が笄になったとか、甲賀組、伊賀組のなまりとか、この地名の起源には諸説がある。
笄川は麻布広尾の谷あいを南北に流れ、天現寺橋のところで古川にはいっていた。
今は暗渠となって、環状4号線の西側に平行な路の下となりその姿はみえない。
富士見坂を下って牛坂へ向かう位置が笄橋で「江戸名所図会」や「新撰東京名所図会」にも描かれている。この谷あいは水田が多く、明治の末ごろまで「笄田んぼ」とよばれていた。昭和45年港区立公園として開園した。
地名の起源に諸説あるのはわかりましたが、「甲賀と伊賀で”こうがい”」と言うのは、いかにも取って付けた感がありますね。
園内は、砂場以外はフェンスなどで仕切らずに、敷地全体に高木植栽、遊具、施設が散らばっているような仕立てです。
遊び場としての主役は、こちらの複合遊具でしょうか。
よくある滑り台や雲梯のほかに、クライミング壁、平均台などのアスレチック遊具がくっついており、けっこう複雑な形をしています。
ちょうど子供が遊んでいたため、わかりやすい写真が撮れなかったのですが、こちらの柵に囲まれたターザン遊具も人気だろうと思います。
長さが15メートルくらいあって、小さな子にはけっこう勇気が必要な遊具です。
ほかには、100人くらいが同時に遊べそうな大きな砂場、ブランコなどもあります。
都心の公園ですが、様々なボランティア活動、市民活動も行なわれているようです。
ちょうど植替え時期だったので地味ですが、近くの国際学校が手入れをしている花壇がありました。
これは、福井県の村から送られた水仙の花壇。
寄贈元の福井県越廼村は、10年以上前に福井市に編入されているので、それ以前に送られたものと思われます。
ぱっと見たところ草茫々ですが、私が訪れたのは水仙の地上部が枯れてしまう真夏だったので、きっと冬になれば越前水仙が咲くことでしょう。
近くに中国大使館があるので、公園の前の道には警察のバスがよく停まっている笄公園でした。
●港区による公園紹介ページ
(2017年8月訪問)
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