桜川公園はNo.1507 桜本公園、1508 中留公園と同じ桜本エリアにあり、約2.8ヘクタールの広さを持つ、エリアを代表する規模の公園です。
現状では、敷地は一般道や住宅を挟んで3つに分割されており、軟式野球場(桜川球場)のあるメインブロック、隣接する児童公園仕立てのブロック、50メートルほど離れて広場中心のブロックとがあります。
メインブロックは、野球場と、以前は交通公園になっていた現・芝生広場の区域とに大別できます。
野球場は両翼90メートルくらいで、外野は天然芝、内野は人工芝になっています。
その南側が芝生広場になっています。
今はやや起伏の付いた一面の広場になっていますが、改修前は交通公園だった一角です。
交通公園が現役だった1975年(昭和50年)撮影の空中写真を見ると、大きな立体交差を持つコースだったことがわかります。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より/ 整理番号:CKT7415/コース番号:C44/ 写真番号:34/撮影年月日:1975/01/03(昭50) |
現在は交通公園だった時代の名残はほとんど見られず、川崎市電の車両が保存されている点が、わずかにそれを思い起こさせるのみです(ただし、現地ではどこのことかわからなかったのですが、川崎市の公園紹介ページには「自転車遊戯広場」があると書かれています)。
他所者の私には、川崎に路面電車が走っていたというイメージがあまりないのでWikipediaで調べてみると、開業が1944年(昭和19年)、廃止が1969年(昭和44年)とのことで、営業期間は25年間。路線は川崎駅から臨港工業地帯を結ぶ一路線のみだったそうなので、このあたりが印象の薄さに繋がっているように思います。
●現地の解説板より「702型市電の経歴」
大正11年製造されたもので、1573号型として東京都で運行されておりました。戦後昭和22年6月川崎市が31万円で払い下げてもらい206号として市内を運行しておりましたが、この206号は木造車で木部の腐蝕が目立つので電気系統、台車などをのぞいた部分を改造(鋼板)した。
これが現存する702号で当時4,135,000円程度改造費に掛ったそうです。
車両の展示場は、いちおう立入禁止で屋根が架けられ、ペンキもたまに塗り直しているようなのですが、解説板が車体に直に貼り付けてあったりして、今ひとつ大切にされていないような気配もあります。
また「東京都から31万円で買って、改造に413万5千円かかった」というところに、エンスーなみの費用のアンバランスさを感じるのですが、改造した時期がわからないので、その間に戦後のインフレで物価が急上昇したのかも知れません。
この野球場と芝生広場の間のスペースに遊具があり、また水遊び場なども整備されているのですが、大きな公園の中央部にあたるため、やや使いにくい感もあります。
水遊び場は、周りに土が多い場所に設置されているので、夏場に水を入れても濁ってしまうのではないかと心配です。
また、芝生広場の周りには、ウォーキングコースや健康器具などもあって、利用者ターゲットの異なる施設が近くに集まっているところが少し気になります。
「色々な人が集まって...」と言えばそうなのですが、せっかく広い公園なので遠からず近からず、見えていないようで見えている、くらいの距離感で使い分けができる方が良いように思いました。
そういうわけで、メインブロックから1車線だけの道路を渡ったところにある児童公園仕立てのブロックの方が、子供たちには人気ではないかと思います。
ただし、間の道路には横断歩道も何もないので、渡るのには注意が必要です。こちらの遊具は、高さはあまりないのですが、横に広い複合遊具です。
とまぁ、面白いところも気がかりなこともあった桜川公園でした。
(2017年1月訪問)
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