1411/1000 真喜屋公園(沖縄県名護市)

2017/03/11

沖縄県 自然災害伝承碑 身近な公園 名護市

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名護市の北部、羽地内海(はねじないかい)にある奥武島(おうじま)と沖縄本島とを結ぶ橋が架かるのが真喜屋(まきや)地区で、その橋のたもとに真喜屋公園があります。
名護市街地から見れば外れにある小さな公園ですが、ここは1960年(昭和35年)のチリ地震津波で校舎が倒壊した小学校跡地を公園としたものです。

石碑の碑文より「津波被災地跡」

1960年(昭和35)5月23日午前4時11分ごろ南米チリ中部の近海でマグニチュード8.5の地震が起き大津波が発生した。津波は時速約750km(秒速約200m)の速さで太平洋を横断、翌24日未明には日本沿岸を襲い、死者139人を出した。
沖縄では、同日午前5時30分ごろからおもに久志村・羽地村(現名護市)石川市等で数回にわたって来襲、甚大な被害を被った。
当地には、真喜屋小学校があったが、津波によって全校舎・校地が破壊され校地移転を余儀なくされた。地域では死者3人、学校裏の護岸及び屋我地大橋(146m)、奥武橋が全壊した。この被災を教訓として 地震・津波の防災のために生かしたい。

太平洋を渡ってきた津波によって、三陸地方で大きな被害が出たことで有名なチリ地震ですが、沖縄でも最大で平均海面上3.5メートル程度の津波(遡上高ではさらに上回ると考えられる)が発生し、おもに本島北中部で家屋の全半壊、橋や道路の破壊などの被害が出ています。
この真喜屋地区の場合、本島の西側にあって太平洋ではなく東シナ海に面している地域なのに回折によって大きな被害が出ていますので、津波のメカニズムの複雑さに改めて驚かされます。

さて、公園の出入口に大きな津波伝承碑はあるものの、現在の園内は基本的には運動公園です。
碑の裏に回ると大きな草敷きのグラウンドがあって、陸上競技用の直線とトラック、また野球用のマウンドや内野などが整備されて多目的に使えるようになっています。

小さなものですがセンタースタンドの建物もあって、トイレ、更衣室、審判席などになっています。

こちらは野球場パーツ。丸太ん棒のベンチがいい味を出しています。

ただ、この公園の基礎データで不明なことがあるのですが、名護市の資料を見ていると開園面積約1.24ヘクタールの都市公園「真喜屋公園」が紹介されているもののほかに、「真喜屋運動公園」となっているもの、「真喜屋運動広場」となっているものとがあります。
このグラウンドと周囲の緑地を全部合わせるとどう見ても1.24ヘクタールの倍はありそうなので、緑地部分が「公園」、グラウンドが「運動広場」、両方をあわせた呼び名が「運動公園」なのではないかと考えました。

そうすると、こんな感じの草敷きの広場を中心に、

周りの樹が育ちすぎて、もやはパーゴラ(日よけ棚)の意味があまりなくなっている園地、

草むらの中に埋もれつつあるブランコや鉄棒などが公園の区域に含まれるのかも知れません。

タコノキが植えられている駐車場は、グラウンドと広場の中間にあるので、立場が微妙ですね。まぁどちらにしても一体的に使えるようになっているので、利用者側は何も悩まなくて良いと思います。

すぐ横には、羽地内海のマングローブ林もあって、スポーツ、防災、自然と色々な楽しみ方がある真喜屋公園でした。

(2016年9月訪問)

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