この区画整理地の中に東西南北4つの公園があります。今回は、そのうちのひとつ目、具志宮城西公園です。
ちなみに冒頭で私が知ったかぶって書いた内容は、この大きな記念碑にすべて書かれています。
●石碑「はばたけ未来へ」碑文より
本地域は、那覇市の最南端に位置し、南側は豊見城村との行政界に接し、東側は既成市街地及び区画整理施行済地区を境とし、西側は国道331号バイパスを堺(転記ママ)とする、字具志、字宮城の各一部地域の面積27.77ヘクタールの区域であります。
字具志、字宮城のいずれも由緒を古い時代に求めることができる土地で、戦前までは広々とした農地を耕し、きび作を中心に様々な作物、また織物の名産地として栄えていました。しかし、戦後は土地の多くが軍用地として接収され、残ったわずかの土地で人々は生活する必要に迫られ、この結果、農業はできなくなり、那覇市の中心市街地に近接した住宅地として市街化の波にのまれてゆき、狭い土地に人口が増加し続けるなか、昭和50年代入って軍用地の一部が返還されました。
本地域も昭和51年、昭和61年に返還され大部分が雑木林や荒地などの未利用地の状態であったので、住宅地の供給を計画的に行うため、土地区画整理事業の手法を選択し、昭和62年3月に準備委員会結成届けを市長に提出し、昭和63年に知事の認可を得、組合が設立されました。以後、事業施行中幾多の困難も生じましたが、平成6年8月に換地処分の公告を受け完成の暁を見ました。
事業の完了にあたり、地主及び関係各位への感謝の意を表すると共に、地域の限りない発展を祈念して、この記念碑を建立しました。
平成7年11月吉日
那覇市具志宮城土地区画整理組合
石碑の周りには、一見すると石のスツールのようですが、地名が彫り込まれた石が並べられています。おそらく区画整理前の字名・小字名ではないかと思われます。
そう考えると、区画整理地区の中でも中心にあたるのが、この公園なのでしょうか。
それら石碑群の後ろに小さな水路が流れており、そこに向かって緩く傾斜した敷地を上下二段に切り分けて公園にしてあります。
上段は広々とした草敷きの広場で、周囲の道路からの見通しもよく、子供たちが自由に走り回れる雰囲気です。反面、フェンスがほとんどありませんので、ボール遊びには不向きだろうと思います。
上下段の間にはガケ滑り台があり、その両側は丸太跳びや階段で登り降りできるようになっています。
そのガケ滑り台の上部から、下段の遊具広場を見渡したところ。
上段の広場に比べると、かなりコンパクトになっています。
遊具は幼児向けのものばかりで、優しい傾斜のゾウ滑り台、コンクリート製のラクダなどがいます。
ちなみにラクダの後ろにあるのはトイレ。遊具の数は少ないのですが、その分を色合いの鮮やかさで補っている具志宮城西公園でした。
(2015年11月訪問)
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