石垣市街地にある御嶽(おん)と一体となった小公園を訪ねるシリーズ。
全3回の2回めは、石垣市の旧市街を構成する四ヶ字(しかあざ)の一つ、登野城(とのしろ)にある天川(あまかわ)公園です。公園は登野城にある裁判所や検察の隣、聖地である天川御嶽(あーまーおん)と一体的になっており、敷地の中には拝殿や舞台があります。
前回の長崎公園(長崎御嶽)と比べると外周部に高木こそ多いものの森の体をなしておらず、かなり開けた印象です。
お祭りの都合などで、広場空間が必要なのかも知れません。
そして広場を避けるように、拝殿の横手には複合遊具と小鉄棒、舞台の横手には大鉄棒がありました。
複合遊具がまだ新しくて目立つものなのに対して、鉄棒がずいぶんと年季の入ったもので、そのコントラストも面白いところです。
こちらの大鉄棒は1964年12月の年号が入っています。
まだ沖縄がアメリカだった頃から50年を過ごしてきた鉄棒ということになります。
現地の解説板より「天川御嶽(アーマーオン)」
天川(アーマー)とは、この地一帯の称で、古くは天川原(アーマーバル)と呼ばれていた。また、御嶽(オン)とは、村人の健康や村の繁栄などを祈願する聖地である。
天川御嶽の歴史は古く、『八重山島由来記』(1705年頃)にも記されている。登野城(トゥヌスク)村の伝承では、新城家(アーマーヤー)の祖先で霊験(セジ)高く篤農家でもあった野佐真(ヌサマ)が天川原の霊石(イビ)を信仰していたことから毎年方策・豊漁に恵まれ、そのため村人たちもその霊石を尊信するようになり、豊年・豊漁の神として信仰するようになった、といわれている。
首里王府時代には、沖縄本島への貢納船に乗り込む役人の航海安全を祈願する七嶽ナナオン(美崎・ミシャギ、宮鳥・メートゥル、長崎・ナースク、天川・アーマー、糸数・イトゥカズ、名蔵・ノーラ、崎枝・サキダ)の一つとされていた。現在でも折々の祈願のほか、旧暦6月には豊作への感謝と来る年の豊穣を祈る豊年祭が古式豊かに執り行われている。
■おまけ
どうでも良いのですが「アーマー オン!」っ叫ぶと、ロボットアニメなどで装甲とか重火器とかを過剰なくらい装着した状態を思ってしまいます。例えばこんな感じ...
(2015年8月訪問)
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