黒鳥山(くろどりやま)公園は、和泉市の中心である和泉府中駅から東へ2キロほどのところにあり、桜の名所として親しまれている公園です。
市街地からの距離こそ近いのですが、緑が保全されている丘陵の端部にあたり、公園の周囲には農地も残っているため長閑な雰囲気の漂うところです。
和泉市は中心市街地に大きな公園がないこともあって、古くから市を代表する公園となっていたようです。
資料によれば都市計画公園としての開設は1960年(昭和35年)なのですが、戦時中までは敷地の一部が陸軍墓地となっており、また公園内に天皇駐蹕碑や忠魂碑があることから、そのころから公共的な利用がされていた土地だということがわかります。
現在は岬のように突き出た丘陵端が公園となっており、広場は山上部にあるため、外回りは坂道や階段の園路で、じわじわと広場に向かっていく構造になっています。
山の北側は、バラ園や壁泉、噴水など西洋風にまとめられた広場があります。
忠魂碑などもこちら側から登っていく道がついているので、この公園のもともとの正面玄関だと言えます。
反対に山の南側は斜面地だけですぐ公園外に出てしまうので裏口のような扱いですが、自然の風景はこちらの方により残っており、北側とは少し違った景色が楽しめます。
また、南側では園路や植栽の整備が進められており、近く公園区域が広がるようです。
丘を登り切ったところにある山上広場は、時計塔を境に多目的広場と遊具広場とに二分されています。
遊具は大きめの複合遊具が一つと、ターザンロープがメインです。
間を分ける時計塔は、独特の構造をしています。
時計自体の倍以上の高さに付いているのは、照明でしょうか。大きな広場の中心に一本だけ建っているので、大型で明るいものだろうと思われます。
そして時計の足下からジワジワと迫ってきている植栽は、時計塔の管理の邪魔にしかならないように思うのですが、どうしてこの場所に植えてしまったのでしょうか。
多目的広場の方には、市民の森と名付けられた一角がありました。
その横のには「友愛」の碑。名前が刻まれた台湾の台中港青年会議所は、和泉市の青年会議所と姉妹提携をしているそうです。
広場の外周にはソメイヨシノがたくさん植えられています。
ソメイヨシノは高齢化すると樹勢が衰えやすいのでので、ここでも足下は立入禁止にして保護を図っていました。また、その外側には新たに植えられた若木が育ち始めていました。
個人的には、新しく植えるのなら樹木同士の間をもっと広げて樹が大きく育つようにする方が好みですが、それだと花の密度がイマイチなので、花見重視のところでは狭い間隔で植えることが多いようです。
山上広場から、さらに一段小高くなった森の中にあるのが天皇駐蹕碑(ちゅうひつひ)ですが、訪れた時は碑の直近も灌木に覆われてしまい、眺めることも難しくなっていました。
ここでいう「天皇」は明治天皇を指し、現在の陸自信太山駐屯地の一帯でおこなわれた陸軍演習を、この山上から眺めて統監したことの記念碑だと言うことです。
もっとも明治時代を通じて大阪行幸は8回もおこなわれており(5~6年に1回のペース)、また大正・昭和になって明治天皇を顕彰する運動もあって多くの駐蹕碑・聖蹟(記念碑)が建てられたことから、それほど珍しいものではありません。
本ブログでも、No.494 大浜公園、No.377 天保山公園で類似の碑が登場しました
広場の西端にある忠霊塔は、1942年(昭和17年)に建立されたものだそうです。
参道両脇の灯籠も含め、この公園では駐蹕碑に次いで古いものですが、単純な石碑である駐蹕碑に比べると、忠霊塔はコンクリートの構造物なので劣化が目立ちます。
さすがに公園になる前からの施設だけあって、非常に眺めの良い場所を占めています。
せっかくなので参道沿いの樹木はもっと剪定をして、一直線に眺望が開けるようになれば、なお良いと思います。
この2つの国家色の強い記念物と対照的なのは、公園の東口を出た道路沿いにある阪口喜一郎顕彰碑。阪口は、軍人でありながら共産党員として反戦運動に取り組み、治安維持法で検挙された後、獄死した人物だそうです。
建てられた経緯は解説板に書かれているのですが、敢えて駐蹕碑などのある広場を出た場所に建てたというところに、関わった人たちの意志を感じました。
■現地の解説板より「阪口喜一郎顕彰碑紹介」
戦前、日本帝国主義が中国侵略を企てたころ、侵略の基地、呉軍港で現役の水兵に向けて反戦新聞「聳ゆるマスト」を発行しつづけ、日本共産党員として生命をかけて戦争に反対した海軍二等機関兵曹・阪口喜一郎は悪法治安維持法により検挙され、1933年、広島刑務所で虐殺されました。享年31歳。
阪口喜一郎は和泉市黒鳥の人であり、碑は平和と民主主義のために活動する和泉・広島を中心に全国に及ぶ多くの人たちの醵金で建てられたものであります。
公園の拡大が進むことで、また違った雰囲気になると思うので、その頃に再び訪れてみたい黒鳥山公園でした。
(2014年7月訪問)
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