607/1000 小寺公園(兵庫県三田市)

2014/03/07

三田市 身近な公園 兵庫県 歴史公園

t f B! P L
兵庫県三田市の市街地は、城下町から発展した旧市街地(JR・神戸電鉄の三田駅から三田本町駅周辺)と、北摂・三田ニュータウンとして開発された新市街地(フラワータウン、ウッディタウンなど)とに大別されます。当然ながら公園も、前者では色々な用地を工夫して確保したもの、後者では計画的に配置されたものとなります。
旧市街地にある小寺公園は、三田藩士として生まれ、明治に入って実業家として活躍した小寺泰次郎(こてら・たいじろう)の生家跡にあたる公園です。

小寺泰次郎は、三田藩最後の藩主・九鬼隆義や白洲退蔵白州次郎の祖父)らと共に神戸に貿易商社を開き、不動産業や金融業にも乗り出して富を築き、神戸の都市開発や教育などにも足跡を残した人物です。
彼が成功を収めた後の邸宅跡が、兵庫県庁の北側にある「相楽園」という庭園として残されているので、そのうち本ブログにも登場するかも知れません。

さて、邸宅跡は立派な日本庭園が残っていますが、生家跡は普通の広場型の公園です。
この辺りの古い町名は足軽町だということで、その名の通り小寺家も足軽身分だったので、元々さほど広い敷地でもなかったのでしょう。

公園の出入口はこんな感じ。園名表示が橋をモチーフにしたモニュメントのようになっています。
かつては武庫川に通じる小水路が通っていたのでしょうか。

そこに建てられているのが、小寺泰次郎についての解説板。それ自体は比較的新しいものですが、内容は「小寺遊園地として市民の憩いの場となっている」とちょっと古めかしい表現が残っています。

■現地の解説板より「時勢を洞察する 卓越した才能を発揮する」
天保7年、小寺弥五太夫次男として三田市足軽町(現・三田町)に生ま れる。藩校造士館に学ぶ。白州退蔵らと藩政改革を推進、藩債処理に手腕を発揮する。その後神戸に出て、九鬼隆義のもと志摩三商会の役員となる。神戸の発展 を予測して独立、海外向け商社小寺洋行を設立して、一代で巨万の富をつくる。神戸相楽園は泰次郎の屋敷跡である。
福澤諭吉の説く理想の学校建設に情熱をかたむけたが、志なかばにして明治38年逝去、享年70才。
生家跡に出生地の碑が建ち、小寺遊園地として市民の憩いの場となっている。

そこから公園内に入ると、巨大な石碑が建てられています。
片方の側面には「天保7年3月8日 生於 摂津国三田」、反対側には「明治38年1月29日 歿於 摂津国神戸」と非常にわかりやすく彫られていて、シンプルにして充分。
2枚の写真で石碑の色目がずいぶん違って見えるのは、撮影時のホワイトバランス(オート)のせいです。

園内に入ってしまうと、大きな広場の片隅にブランコ、滑り台、揺れる動物、太鼓橋などの遊具と、片屋根の小さな休憩所がある児童公園仕立てです。

しかし、大きな松の木や石造りの外周柵など、ところどころに古い時代からの伝統を感じさせるものが残っています。「小寺遊園地」としての開園時期やその後の変遷などは資料不足でわからないのですが、ネットで色々見ていると大正末には開園していたようです。

公園の横手には、三田市の施設で小さいながらも柔道場と剣道場を備えた「心道会館」があります。これも三田市の資料によれば「かつて小寺遊園地内にあった幼稚園の一部を借りて」いたこともあったそうです。

■現地の解説板より「心道館」
「心道会館」の前身である「心道館」は、三田・三輪町内の武道愛好家が、如月会を結成、地域の武道発展と青少年の健全育成を願って有志家によって、昭和6年に建設された道場です。
「心道館」の名称は、当時柔道の指導者であった吉植末吉師範が、武道の道は心の修養に通じるところから、命名されたと伝えられています。
戦後、施設は三田町に移管、町の公会堂として市民に利用され、昭和25年から再び武道場としても使用、昭和42年から地域の指導者により、「少年武道教室」が開かれ、今日まで多くの青少年の柔・剣道等、武道による心身の鍛練の場として活用、親しまれてきました。
このたび、青少年の武道を通じ健全育成と、地域のコミュニティ活動の場として新築改装をみました。
平成4年1月 三田市

そのほか公園内で気になる物件としては、まず「近すぎるベンチ」
「休憩所にベンチが足りない。増やそう!」「増やす分も屋根の下に入れたい!」という検討結果があってのこととは思いますが、いくらなんでも近すぎです。
これでは結局、向かい合わせの人の足がぶつかってしまうので、一列だった時と同じ人数しか座れないように思いますが...

そして公園出入口の標柱に刻まれた矢印。
今の目線で見れば「どうぞお入りください」の意味だと思うのですが、公園の出入口にわざわざそんなものを刻むというのも見たことないので、もっと違う意味があったのかも知れません。

歴史があるだけに、小さいながらも色々と気になることの多い小寺公園でした。

(2014年1月訪問)

ブログ内検索 Search

アーカイブ Archive

地図 Map

問い合わせ Contact

名前

メール *

メッセージ *

Facebook Page

QooQ