そこに、かつての横浜市瓦斯局、後に事業主体が移って東京ガスが使っていたガスタンクがあり「ガス山」と呼ばれていました。そのタンク跡地を市が公園化したのが本郷町ガス山公園で、2012年(平成24年)5月に開園したばかりの新しい公園です。
園内は、低い位置にある平場と、それを取り巻く周囲の細道へと繋がる斜面地を上手に処理して繋げており、非常に面白い形状をしています。
公園には4つの出入口があり、平場に2ヵ所、10mほどの高低差がある斜面上に2ヵ所開いています。これらを園路、階段、広場でもって繋ぐことで、地震や火災の時に、どこからでも公園に逃げられるよう、またどれかの道路が建物の倒れ込みなどで塞がれても公園を通り抜けて他のルートを使って避難できるようになっています。
下の写真は斜面の上部から。
斜面上部の2ヵ所の出入口から繋がる道路は、それぞれが屈曲した4m幅ほどの細道で災害時の避難路としては不安なため、等高線に沿った園路によって2本の道路を繋ぐようにしています。
これなど、地区内の普段の行き来にも便利そうです。
広場の一角には、防災対応の公園では定番のかまどスツール。下の金属部分が焼けており使った形跡があります。
どのまちでも、かまど兼用のベンチ、スツールについて住民から設置要望が出ることは多いのですが、意外に設置した後は使われない(あれば安心する)という話も聞きます。しかし、この地区では防災訓練などで使ってみたようです。
そして斜面地と言えば、定番のロング滑り台。滑り台の横の青い専用階段を登って使うようになっており、園路から滑り台へは通じていません。
園路階段の踊り場から滑り台へと繋げても良いようにも思うのですが、災害時の避難経路の混乱を避けるために、あえて繋がなかったのではないかと想像します。
また、斜面地の一角に、斜面をくりぬいて造った構造物があります。
これは、この場所がガス施設になる以前からあったと考えられる謎の構造物だそうで、明治期のビール会社の貯蔵施設ではないかとする意見もあるそうです。
もともと煉瓦造の横穴というだけで秘密基地感がありありなのに、中を観察できるように金属製の格子戸をつけたせいで、地下牢風の外観となっています。
格子戸から中を覗いてみると、ここの調査の際に見つかったものなのか、あるいは修復工事の際に使った残りなのか、煉瓦(あるいはペーブメント用の石?)、石材、土管などが置かれていました。
●現地の解説板より『ガス山煉瓦造構造物』
ガス山という名称は、かつてこの場所に横浜市瓦斯局の施設が建っていたことに由来しています。大正11年(1922)に横浜市水道瓦斯局(当時の名称、大正14年に横浜市瓦斯局となる)の本牧出張所が設置され、昭和19年(1944)以降は、横浜市のガス事業を継承した東京ガス株式会社の用地として使用されていました。
この煉瓦造構造物は急斜面地を開削して造られたもので、煉瓦の状態等から関東大震災(大正12年)以前のものと考えられます。内部はカマボコ型のヴォールト天上を持つ二つの部屋からなり、右側の部屋の一部には煉瓦を積んだ床が設けられています。左右の部屋ともに、天上の頂部には斜面上まで抜ける土管の空気穴があり、熱気を屋外に逃がして内部の温度を一定に保つ構造になっていることから、なんらかの貯蔵施設であったと推測されます。この場所が横浜市の所有となる以前の明治時代には、本牧間門出身の渋谷留五郎によるビール工場があったことが知られており、その関連施設の可能性もあります。
市内に現存する煉瓦造構造物では、ヴォールト天上を持つ構造物という点で、ジェラール水屋敷地下貯水槽(中区元町公園内、推定:明治10年代)や旧居留地消防隊地下貯水槽(中区日本大通13、推定:明治26年)に類似しており、これら明治中期の土木構造と技術的に連続する歴史的建造物であるといえます。
監修:横浜都市発展記念館
平成24年5月:横浜市環境創造局
ちなみに、東京ガスの施設もいちおう残っています(奥のコンテナみたいなもの)。
何に使う施設なのかは知りませんが、ガスタンクから比べると、ずいぶん小さくなったものです。
(2013年9月訪問)
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