足立区の西新井駅と荒川とに挟まれたあたりが関原(せきばら)で、農村だったところに関東大震災や戦災から逃れた人たち向けの住宅やら工場やらの開発がワーッと入って、あまり計画的ではないまま都市化が進んだ一帯です。
このため曲がりくねった道が入り組んでおり、歩いていても思いがけないような奥まったところに急に公園があって油断ができません。
関原分校公園も、こんな細道を抜けた先にチラッと見えているだけなので、うっかりすると通り過ぎてしまいそうです。
その名の通り、1929年(昭和4年)に開校した本木尋常小学校 関原分教場(教室5、用務員室1、宿直室1。関原小学校HPによる)があった場所だということで、標柱もちょっと校門っぽいデザインを採用しています。
トイレには分校を偲ぶタイル画があります。
しかし、せっかくのタイル画に、平気で貼り紙をしてしまう行政のセンスはいただけません。管理のために必要なお知らせが書かれていることは理解しますが、この貼り紙は、この場所でないといけなかったのでしょうか。
遊具は滑り台と砂場、揺れる乗り物などがありました。
ネコ除けのフェンスが囲む砂場の中に、ネコ顔の遊び台。
そしてこちらのフェンスの中は、環境省の第4次レッドリストで準絶滅危惧(NT)とされているアサザが生えているという池。
...ということになっていますが、まったくそうは見えない草むら。
ちょうど訪れたのが2013年の6月。現地の看板には「6~8月に黄色い花が咲きます」と書かれていたので目を凝らしてみましたが、残念ながら見あたりませんでした。
なにしろ、池の水源は周辺の家の屋根に降った雨水を公園地下の貯水槽に貯めたもので、それを誰かが手押しポンプで汲み上げねば池には流れ込まないシステムになっているので、そもそも池として維持するのは無理っぽいように見えます。
先ほどのタイル画にもなんとなく池か小川のようなものが描かれていますが、もともとはどういう水源で池になっていたのでしょうか?
むしろ、池の後にそびえる木賃アパート(一番上の写真でも左手に見えています)の方が、昭和遺跡として保存していかねばならないように思いました。こういう風情の建物は、もう2度と建てられないでしょうから。
(2013年6月訪問)
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