沖縄県立の海軍壕公園は、那覇市と豊見城市の市境あたり、沖縄戦の当時に日本海軍の司令部壕(地下壕)が置かれた丘陵地にある公園です。
中核となる施設は戦争遺跡である海軍司令部壕、資料館、慰霊塔などですが、もともとが琉球王朝時代に那覇港への入港を見張るヒバンムイ(火番原)が置かれた眺めの良い場所であり、またレクリエーション的な施設も多く設けられた公園となっています。
丘の頂上にあるのが、海軍戦没者慰霊之塔。終戦後は荒れ果てていた壕跡ですが、まず遺骨収集が実施され、それから慰霊塔の建設、地下壕の復元整備と公開、周囲の公園としての整備という流れで現在に至ります。
塔の周囲にある高木は、戦没者の出身地や部隊関係者の方々の記念植樹が含まれています。
地下壕には、慰霊塔の横にあるビジターセンターの建物を通り抜けて入ります。
何度か入ったことのある有料施設のため、この時は壕までは入りませんでした。
海軍壕が設けられた理由も、この眺めの良さにあったようです。
那覇空港(当時は小禄飛行場)、そして那覇市街地から北方が一目で見渡せます。
戦争遺跡からは一転して、こちらが琉球王朝時代のヒバンムイと呼ばれる烽火台をイメージした時計塔。
これはあくまでもモニュメントですが、先島諸島には実際のヒバンムイが残っており「先島諸島火番盛」として国史跡に指定されています。
ちなみに、ここでは「火番原」と漢字表記されていますが、先島のものは「火番盛」、ほかに「火番森」という表記もあるようです。「盛」はさておき、「森」と「原」が同義として使われているところに沖縄の自然観のようなものを感じます。そういえば、沖縄本島北部の森林地帯のことは「山原=ヤンバル」と言います。
もっとも、そのものの形は「盛」、役割としては「守」という漢字の方がしっくりきます。
そしてヒバンムイ時計塔のある広場から、南のほうに向かう斜面は超巨大複合遊具で埋め尽くされています。沖縄では、以前にNo.84の浦添大公園にある斜面利用型巨大複合遊具を訪ねましたが、こちらはさらに輪をかけて巨大です。
斜面の上から見るとこんな感じ。
ローラー滑り台、ネット遊具、ラダー遊具が複雑に組み合わさっており、登ってよし、下ってよしとなっています。
下から見た写真は、かなり引いて写していますが、これでも全景は入っていません。
右奥の青い滑り台は、写真の端からまだあと20mほど伸びています。
下りた先にも、別に巨大砂場、ユニバーサルデザインのブランコなどのある遊具広場があり、低年齢の幼児もそうとう遊べるようになっています。
また遊具広場の周りの擁壁には、沖縄の生き物を描いたタイル画があります。けっこう色々と描かれているので、全部見て名前をあてる遊びをしても面白いかも知れません。
海軍壕という戦跡にちなむ公園、森に囲まれた静かな慰霊の場としての性格を持つ公園ですので、このような賑やかな遊具広場の導入に違和感を持たれる方もおられるかも知れませんが、公園内での施設配置・動線配置により、戦跡に向かう方とは利用が交錯しないようになっています。
ちなみに超巨大複合遊具は豊見城市側にあるのですが、那覇市側にも小さな遊具広場があります。しかし地味...
●指定管理者による海軍壕公園の紹介ページ
(2013年2月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿