いくつかの時代の地図をまとめてくださっているブログがありますが、大雑把に言って国際通りよりも西・北側は海で、後に久茂地川となる狭い海峡(?)を挟んで、現在の久米、若狭、辻などの一帯は「浮島」と呼ばれる島になっていました。そして、こちらの浮島の方にあった港湾地区「那覇泊」こそが那覇の発祥の地で、戦前まではこちら側が町の中心でした。
そういうわけで、若狭の海岸近くにあるこの夫婦瀬(めおとぜ)公園も、もとは海の中に浮かぶ夫婦瀬、方言では「みーとじー」が埋め立てられて陸地になり、公園になった場所です。
もっとも、今となっては周りを団地や住宅に取り囲まれているわけですが。
心の目を研ぎ澄ませば、海の中に岩が浮かんでいるように見えなくもない |
海岸近くという立地や名前から、ここが夫婦瀬の跡だということは知っていたのですが、実際に行ってみるまでは、伊勢・二見浦の夫婦岩のように大小二つの岩が残っているものだとばかり思っていました。ところが、現地には大小4~5個の岩場があって、どれを夫婦に見立てたのかよく分かりません。
時間が経った名勝・旧跡なんてそんなものかも知れません。
どれが夫婦? |
かろうじて海であった記憶を残すのが、公園を二つに分けて間を流れる川というか水路です。
岩場のある広場からその川を渡った側に、遊具広場があります。遊具はブランコ、シーソー、滑り台などで少なめですが、道を一本渡ったところに若狭公園という大きな公園もありますので、こんなものでしょう。
遊具広場 |
●那覇市街地の変遷に詳しいページ グダグダ(β) 海岸線の変化
(2012年10月訪問)
【2019年7月追記】
小原猛 著『琉球怪談作家、マジムン・パラダイスを行く』を読んでいたら、夫婦瀬のことが次のように書かれていました。私は夫婦瀬を伊勢の夫婦岩のようなものと考えていたのですが、まったく違っていたようです。いやお恥ずかしい。
昔、仲の悪い夫婦がいた。毎晩喧嘩ばかりして、夫は妻を顧みず、妻は夫に嫌気がさしていた。そのため、この夫婦を元に戻らせたいと願う人々が、ある夜二人を呼び出して、船に乗せてこの岩の上まで連れて行った。二人はいきなり何もない岩の上に連れて行かれた上に、波が激しく打ち寄せ、危険なことこの上ない状況に置かれてしまった。そこで岩の上でいがみあっていても埒があかないと感じた二人は、お互いに優しさを発揮して、朝になって迎えが来る頃には、すっかり仲よくなっていた。それ以来、仲の悪い夫婦がいたら、この場所に夜連れて行けと、そんな話が広まった。以上の話は、沖縄演劇にもなったりして、沖縄のお年寄りなら誰でも知っている話である。実は沖縄各地にも同じような話が残っており、夫婦岩というものも、何か所かに存在している。
なるほどなるほどと思いながら、久しぶりに夫婦瀬公園へ行ってみると、数少ない遊具の中から滑り台とシーソーが廃止になり、ブランコだけが新しいものに入れ替えられていました。
知識を得てから岩々を見ると、また違ったように見えてきます。
いったい、どの岩の上に置き去りにされたのでしょうか。
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