ある程度以上の規模の町では、たいてい「町を代表する公園」があります。
それは城下町なら城址公園であったり、新興の町なら郊外の総合公園であったりするわけですが、そういう代表的公園では、記念碑や銅像、記念植樹などの形で「町を代表する事物・できごと」が紹介されていることがあります。
さて、ここ高松市の中央公園は、高松市役所のすぐ横にあり、30年ほど前まで高松市営球場として利用されていたものを1985年に公園として再整備したもので、間違うことなく町を代表する公園です。
そして、ここには高松(および香川県)を代表する事物が詰め込まれすぎて、なかなかすごいことになっています。
まず目につくのは、明治の大作家にして実業家・菊池寛の銅像。この公園のすぐ南側に生家跡があり、通りの名前も「菊池寛通り」となっています。
菊池寛の肖像写真はメガネをかけているものが多いのですが、ここの銅像はメガネなしです。
ちなみに生家跡・菊池寛通りは公園の南にあるのに、銅像は東の中央通りを向いているところに若干の不整合を感じますが、より目立つ場所に銅像を建てたかったのでしょう。下写真は公園外にある生家跡の記念碑。
続いて平成の大合併で高松市に含まれることになった旧・牟礼町に日本でのアトリエを置いていた彫刻家・イサムノグチの遊具彫刻。イサムノグチは日常の生活や環境の中にアートを持ち込むためのアイテムとして遊具や公園に着目しており、いくつかの遊具をデザインしました。これらは今も普通に販売されており、所々の公園で見かけることがあります。
こちらは「オクテトラ」。横から見ると鉛筆のお尻みたいです。
こちらはプレイスカルプチェア。座っても、平均台代わりにしても良いのですが、曲線に沿って寝転がるのも面白そうです。
イサムノグチが牟礼町にアトリエを置いたのは、五剣山で採れる庵治石(あじいし)が気に入ったからだとか。
石繋がりもあって、園内には三枝惣太郎、池川直、寺田武弘、速水史朗など香川県縁の彫刻家たちによる石彫が飾られています。例えば下は、三枝惣太郎の作品「伸」。
また庵治石は石灯籠に加工されることが多いとかで、様々な形の石灯籠も並んでいます。
もしかすると一つ一つに作者や作品名があるのかも知れませんが、追いきれませんでした。
続いて伝統工芸である香川漆器の始祖とも言われる江戸末期の漆芸家・玉楮象谷(たまかじぞうこく)の銅像。
郷土の偉人といえば政治家も忘れてはいけません。下写真は初代高松市長であった椋園先生(赤松渡)遺愛之碑。
写真を撮り忘れましたが、戦後の公選初の高松市長・国東照太の銅像もあるようです。
そして、もとは野球場だったということで、野球場の設立に尽力したという富豪・小河謙三郎(大阪・堂島の米相場で財を成した方のようです)の胸像や、水原茂と三原脩、どちらも香川出身で1歳違い、昭和20~30年代のプロ野球人気を牽引したの2人の名監督の銅像などがあります。
上の碑に書かれている「正一位 白禿大明神」というのは浄願寺の森に住んでいた「はげさん」という名のタヌキのことで、弘法大師にまつわるタヌキ王国・四国でも著名なタヌキの一人?です。その姿も石像で見ることができます。
そして香川県は日本一の松盆栽の産地であり、2011年にはアジア太平洋盆栽水石大会が高松市で開かれました。これに因んでというわけではありませんが、高松市の木は黒松。公園入口にある黒松も、いささか盆栽風の仕立てになっています。
このほかにも彫刻やモニュメントが目白押しで、と非常に盛りだくさんで、この公園を巡るだけでも高松のことが結構わかるようになっています。イベントや学習教材としての活用も考えられる高松市の中央公園でした。
(2012年8月訪問)
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