この住吉川の東側、JR線よりも北の一帯が野寄地区で、現在の住居表示では西岡本になります(市街地を外れる山裾には「本山町野寄」が残っています)。その野寄地区にあるので野寄公園。
こちらのサイトに掲載されている、明治19年(1886)の地図で見ると宅地開発が進む前の地形がよく分かりますが、住吉川が平野部に出る扇状地の最上部にあたると同時に、天井川になっている住吉川の直近ですので、現在も公園の敷地全体が緩い勾配地になっています。
道路に囲まれた四角い区画の真ん中に地区の共同墓地があり、墓地の東と北を囲むように公園が配置されています。また区画の東隅には地区の集会所兼防災倉庫もありますので、古くから野寄地区の公共用地であったことがうかがえます。
公園部分は、東側も北側も、それぞれが児童公園風の仕立てになっています。東側はブランコ、滑り台、ジャングルジム、雲梯などの遊具と広場、北側には砂場、広場、東屋があります。
二つの広場の間をつなぐ道沿いにはマツ林。このあたりは、明治の頃には住吉川に沿ってマツ林が続いていたそうです。
公園の北端には、1938年の阪神大水害の後に建てられた災害記念碑があります。 先ほど述べたような立地・地形にあるため、六甲山系の急流が一斉に氾濫した阪神大水害の際には、このあたりでも流出・全半壊が700棟、埋没・浸水が1500棟もあったといったことが記され、当時の内務大臣の筆による「有備無患」の言葉が刻まれています。
昔のものですので、いささか大仰にも見えますが、私は災害の記念碑はこれくらいハッキリとしたもので、「いつ、何があって、どんな被害が出た。」とちゃんと書いてある方が、後々の世に役立つものになって良いと考えています。
非常に立派な石碑です。石は上流から流されてきたものでしょうか。 |
●野寄地区に詳しいページ
●有備無患の碑に詳しいページ
(2012年5月訪問)
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