大きな公園でいうと、東京の浜町公園や錦糸公園、横浜の山下公園などが整備されましたが、それ以上に特筆すべきは、東京市(当時)で計画・整備された52の小公園です。
この52公園は、学校敷地と隣接させることでまとまったオープンスペースを確保し、平常時には地域の老若男女が集う憩いの場として、災害時には不燃化・耐震化された校舎や防火林帯に守られた避難場所として役立てようというものでした。
すなわち、それ以前の日本の公園が江戸時代からの行楽地や社寺有地などの流れを汲む、いわば「ありもの利用」が多かったのに対して、初めて「(区画整理や民有地買収によって公園用地を生み出してでも)都市全体に計画的に配置・整備する」近代的な公園群であったと言えます。
でもって、元町公園。文京区本郷といいますから、お茶の水駅と水道橋駅の間、神田川を見下ろす崖の突先にあります。
1930年の開園で、当時の公園の状況が大きく改変されることなく残されており、それどころか一部改変されていたところを30年ほど前に開園当時の姿に戻すための改修がおこなわれているなど、日本の公園の歴史を語る上で重要な価値を持つ公園です。
当初整備時の平面図(『日本公園緑地発達史』より) |
全体の構造は、台地上に小学校とつながる自由広場があり、外堀通りに向かって段々と降りていく形になります(小学校はすでに廃校になっていますが)。
公園全体が階段状の構造です |
元・小学校と隣接する自由広場 |
その段差を処理する擁壁や階段、カスケードなどの処理がいちいち格好良く、また最近の公園では採用されないような凝った衣装やシンボル性の高い像など、昭和初期のモダニズムの時代を感じさせるものとなっています。
上段自由広場と一段下がる西側小広場とを繋ぐカスケード |
公園を見守る鷲の像 |
太い円柱を持つ藤棚 |
●文京区の公園紹介ページ
●元町公園ほか震災復興52公園に詳しいページ
●震災復興公園関係写真(土木学会)
●日本の都市公園100選&歴史公園100選
(2012年6月訪問)
ちくま学芸文庫の横関英一『江戸の坂 東京の坂(全)』を読んでいたら、元町公園について触れた記事がありました。正確には、元町公園の東側の坂道について触れた記事ですが。
返信削除(引用)「文京区本郷一丁目一番と、二丁目三番とのあいだを、南のほう、外堀通りから北へ上る小さな坂が建部坂である。古くは忠弥坂と呼んだこともあったようである。建部坂と呼んだのは、この坂の上り口の西側に、享保の頃から建部六右衛門の屋敷があったからである。この建部屋敷の南側、すなわち、いまの元町公園のところが竹藪の崖になっていた。その当時は春になると鶯の初音をきくことができたという。元禄の頃の将軍が、ここを『初音の藪』と命名したという伝説もある。」